第一章『始動』 《Side Bikkebakke》 「見えた!」 慣れないドラゴンの上で、ボクは叫んだ。 それが嫌だったのか、驚いたのかはわからないけど、モルテンは着地前にやたらと乱暴に身体を揺すってボクを跳ねとばす。 転がって、尻餅をついて、慌てて立ち上がった。 出迎えてくれた人に、アニキの帰りを告げる。 続々と小屋から人が出てきて、中には知らない人もいたりして、ボクは少し緊張した。 これから始まるんだな、って思って。 ボクたちが後をつけられていないか、念のためテードの空を一周してきたアニキが降りてくる。 太陽を背にして降りてくるサラマンダーに跨る、お日様色の人。 まるで太陽からやってきたみたいで、ボクは少しドキドキした。 アニキは颯爽と降りてきて、久しぶりに会う人たちに頷きを返す。 みんなは荷物を持ってドラゴンに乗ろうとするけれど、慣れないドラゴンに苦戦しているみたい。 ボクはモルテンに乗り直して、みんなを手伝って、荷物を崩れないように固定したり、上から引っ張り上げたりした。 粗方終わってから、ボクは自分の荷物を取りに外階段を登った。 道具箱の中に入れておいた大事な釣竿を取り出す。 特に傷ついた様子もないみたいだし、誰も使わなかったのかな。 すぐ横の、中二階の高さについた窓から、アニキとマテライトが話しているのを見た。 ダミ声だけ微かに聞こえる。 マテライトの声が大きいのもあるけれど、アニキの口数が減ったからかもしれない。 帝国軍の補給地に忍び込んでから、ラッシュやトゥルースと話すときも相槌だけなのが多い気がする。 そう感じているのはボクだけみたいだから、もしかしたら気のせいかもしれないけど。 マテライトが変な動きをしながら出て行った。 少しの間、アニキはその場で何かを見つめていたけど、急にくるっと向きを変えて ガスの元栓を見たり水道の蛇口を閉めたり、ごそごそと小屋の中を動き回り始めたので 覗き見してるのがばれちゃうのがやだったから、ボクは窓を離れた。 「サラマンダー、ボクもこれ持って行きたいんだけど…いいかなぁ」 軽いけど長いから、嫌がるかなぁと思ったけれど、サラマンダーは目を細めてボクを見た。 いい、のかな? サラマンダーの背中に釣竿を乗せたボクの横に、不安げな顔をしている人がいた。 風で紫色の長い裾がはためいてて、その服に白いお髭と髪がとても似合ってると思う。 「乗らないの?」 声を掛けたら、こっちを見て「えぇ」と頷いた。 「ビュウとお話しをしたいから…」 「久しぶりだもんね!」 ニコッと、お髭の顔が微笑んだ。 振り返ってモルテンに乗ろうとしたけど、ちょっと定員オーバー気味に見えた。 アナスタシアさんとエカテリーナさんはともかく、グンソーさんとバルクレイさんが乗っている。 ボクが乗ったらきっとモルテン飛べないよね…。 サンダーホークに乗ることにして、そっちを見たら、乗っているマテライトを意識してるのか ラッシュがサンダーホークの横で嫌そうなのと緊張と不満が混ざったような顔で立っていた。 「ラッシュ、ボクもそっち乗っていい?」 「おおおおう!乗れ乗れ!」 案の定歓迎されたので、僕はラッシュの横に立った。 チラッと見たマテライトは下を向いていて、何かをジッと考えているように見える。 その時小屋から出てきたアニキが、ゾラさんから袋を渡された。 その袋を覗いて、アニキはお礼を言って受け取ってた。 何だろう。 ゾラさんの手作りおやつかな? アニキがサラマンダーの前まで来て、荷物袋を開いた。 中を見て、あれ?と声を上げる。 「誰か荷物袋開けた?」 「え?どうだろう」 「あ、ワシ見た。さっきマテライトが開けてたの」 「…そっか」 「どうかしたの?」 「新しい装備が…ね、入ってた」 「わぁ、嬉しいね!」 「ドラゴンに餌を上げたら行こう」 「うん!」 アニキが荷物袋からいくつか何かを取り出して…多分ほのおの草とかだと思うけど、 それをゾラさんからもらった袋に入れた。 装備を入れたほうの大きな革袋はサラマンダーの背中に乗せて、ゾラさんからもらった袋を担いで サラマンダーの顔の前にまわる。 ちょっとして、センダック老師がサラマンダーに乗りに来たから、ボクは声をかけた。 「もうお話し終わったの?」 「うん。ビュウ、早く戦いたいみたい。…あの頃より…ビュウ、大人びた感じ…。わしも見習わなきゃ」 よいしょ、といいながらセンダック老師がサラマンダーの背に上がる。 サラマンダーはわざわざ身を低くしてくれていて、ボクたちが乗るときより格段乗りやすそうだった。 「ったく、こんな時にドラゴンに餌なんてやってよ!」 ラッシュがそんなことを言いながらサンダーホークとボクのそばを離れる。 アニキのところまで行くと作戦がどうとか、つまりは急ごうって言って戻ってくる。 「本当変なところで悠長だよなビュウって」 「あなたに落ち着きが無いだけですよ」 「いきなりなんだよ、トゥルース」 「ドラゴンを育てなければ私たちの力なんてたかが知れているんです。相手は日々研鑽している屈強の兵士です。 敵に対抗出来るのは私たちじゃなくて、ドラゴンなのですよ」 「そ、そんなのわかってるよ!」 わかってなかったんだなってボクにもわかった。 隣の、アイスドラゴンの背中にいるトゥルースは溜息を吐いている。 アイスドラゴンには女性がいっぱい乗ってて、彼女たちがアイスドラゴンにすごーいとか ふさふさーとか言うたびにちょっと嬉しそうに身じろぎをしていた。 ドラゴンもやっぱり人の言葉をちゃんと理解してるんだ。 その時、横から驚嘆の声が上がって、振り向くとアニキがいた。 アニキと、その向こうに…あれ? 赤いはずのサラマンダーの体部分が紫っぽい色になってて、一瞬誰なのかわからなかった。 形もほんの少し…変わった気がする。 「サラマンダー、色変わってないか?」 「進化…でしょうか」 「ホワイトロプロスじゃ」 「え?」 ボクと、ラッシュとトゥルースはまた後ろを振り向いた。 マテライトがボクたち越しにサラマンダーを見ている。 「レッドドラゴンからホワイトロプロスになったんじゃ」 「ホワイト??名前が変わったってことか?」 「後はそこのグダグダジジイにでも聞くといいのじゃ」 「はあ?」 はあ?の部分は小声で、ラッシュが言った。 本当にラッシュはマテライトが苦手というか…嫌いみたい。 ラッシュが小さな声でぶつぶつ言うのを聞いてると、アイスドラゴンから降りてきたトゥルースが センダック老師に声を掛けた。 白いお髭がこっちを見る。 「あの、どういうことなんでしょうか」 「ワシも全部覚えてるわけじゃないけど、ドラゴンが進化するのは知ってる?」 「あぁ、まだ見たことないけど…って今見たけど」 「ドラゴンってもともと得意とする属性を持ってるの。だから普通は好きな属性を食べるの」 「えっとそれはつまり…サラマンダーなら炎を?」 「うん。自然界にある炎を食べてるの。物質じゃないから、進化はとても緩やかなんだって」 「では物質…ほのおの草とかを食べれば、変わるのですか?」 「うん。物質になると途端に成長が早くなるんだって」 「へぇ~」 「普段そのドラゴンが食べない属性のものをあげるとね、色や、時には形が変わって、 別の属性も使える証になるんだって、言ってたよ」 「誰が?」 「誰って…昔の、ずっと昔から戦竜隊に伝わってることなんだけど…。 ビュウがそれをさらに裏付けとか書き直しとかしてるみたいだよ。 進化表もあるんじゃないかな。ドラゴンって確か数種類しかいないはずだし」 「え?そうなのか?」 「ドラゴンの形には個体差があるけど、どの属性を持ってるかで種類の名称が変わるの。 炎属性だけ持ってるドラゴンはレッドドラゴンて呼ばれてて、回復だけ出来るのがホワイトモルテン。 水属性だけ持ってるのはブルーロプロスっていう種類。 今サラマンダーは炎と回復の属性を手に入れたから、炎と回復でホワイトロプロスに進化したんだよ」 「へぇ…。オレ全然知らないや」 「私も種類までは覚えていませんでした」 「ねえセンダックさん、ドラゴンの属性ってそんなに重要なの?」 「うん。ワシたちは魔法を使えるけど、血が薄いから、魔法の元となる元素自体を生み出せないのね」 「???」 「火があればその火を魔法の力で相手にぶつけることは出来るけど…」 「一体何の話だ??」 「ドラゴンのことなんだけど…」 「駄目だオレそれだけ聞いただけでさっぱりだ」 ラッシュが匙を投げて、モルテンの前へ移動したアニキの方へ向き直った。 ボクはちょっと興味があるからもう少し聞いてみようかな? 「あのね、君たち魔法の力がないナイト達でも属性を絡めた技が撃てるのはね、ドラゴンが力を貸してくれてるからで」 「ふむふむ」 「カーナの魔法使いたちはほとんど自分で炎を生み出せない。0を1にすることが出来ないの。 でもドラゴンは出来るから、ドラゴンが生んだ炎を使ってワシらは攻撃するの」 「なるほど」 「帝国のウィザードはドラゴンが傍にいなかったよ」 「彼らは0を1にするためにものすごい修練を積んだの。カーナは昔からドラゴンがいたから、 必然的に人間の力をあてにしなくなった…って聞いたよ」 「じゃあ他の国から見たらボクたち落ちこぼれなの?」 「ワシらは落ちこぼれに入るかもしれんけど、ドラゴンの力を借りた技を撃てる兵士はいないんだから、 君たちは落ちこぼれじゃないと思うの」 「うーん?」 「ワシらもね、ドラゴンが生み出す大きな力を操るから、帝国のウィザードよりはずっと強い魔法を撃てるよ」 ボクとトゥルースはちょっとわかるような、わからないような、そんな顔でお互いを見た。 トゥルースはボクよりわかってるんだと思うけど、いまいち実感がない、そんな感じ。 「ちょっと2人とも、サンダーホークの前を空けてもらってもいいかな」 アニキがいつの間にかボクたちの前に来ていた。 横を見ると、モルテンがもぐもぐと何かを咀嚼している。 「うん」 すぐにサンダーホークの前からどいて、アニキが餌をあげるところを後ろから見る。 アニキは袋から毒々しい色の葉っぱを出すと、今にも飛びついてきそうなサンダーホークをいさめながら口の前に差し出した。 サンダーホークはアニキの腕ごと食べちゃうんじゃないかって勢いで食らい付いて、モグモグと口を動かしている。 ごくんと飲み込んだ音がした。 その途端に、サンダーホークの体がゴモゴモと動き始めて、胴体から足が…えっ、足? 「えええ!?」 見る見るうちに、サンダーホークの体がバキバキと音を立てながら変化していった。 背中に乗っていたマテライトは振り落とされないようにたてがみ部分を握っている。 すぐに、変化は終わった。 満足そうな顔でアニキが、なんかカニのようになっちゃったサンダーホークの顔を撫でた。 「あ、アニキ、これ…」 「パワーイーグルからデボネアグリーンになったんだ。毒属性が使えるからね、マテライト」 「ふん。どうせワシは雷しか撃てないのじゃ」 「あはは」 アニキはそのままアイスドラゴンのほうへ歩いていった。 ボクはサンダーホークを見上げて、さらに凶悪になったその顔を見て身震いした。 「さ、サンダーホーク…すごいね、進化したんだね」 サンダーホークは目を細めてボクを見ていた。 緑色の顔はとても顔色が悪そうに見えて、さらにこの顔だからちょっと夢に出て来そう。 「ビッケバッケ、そろそろ行くだろうから乗れよ」 さっきまでボクみたいに呆然とサンダーホークを見ていたラッシュがいつの間にか乗り込んでいて、頭上からそう言った。 ボクは勝手が変わったからどう乗ろうか悩みつつ、何とかよじ登ってラッシュの後ろに座った。 後ろにはまた沈黙状態になったマテライトがいる。 その視線の先にあるであろう自分の背中がむずむずする。 でも黙って、ボクはアニキがアイスドラゴンに餌をあげるところを見ていた。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Barclay》 彼にとって、ドラゴンが戦闘の相棒として傍らに控えていることは、数年前のあの日が初めてだった。 乗ることは今日が初めての経験で、ドラゴンのどこに手を掛けて登ればいいのかわからず四苦八苦している。 「あれ、バルクレイさん、こっち乗るんです?」 「ええ、いいですか?」 ナイトの青年が、もちろんと頷き彼に手を差し伸べた。 有り難く手を取ってドラゴンに跨り、一息つく。 「モルテンに乗ったと思ったのに」 体格だけならヘビーアーマーでもいいのではないかと思えるナイトの青年がそう言った。 「あちらはタイチョーさんが乗ったら重量オーバーですし、気が合わないのもいるので…」 彼がそういうと、ナイトの青年が隣にいるモルテンの背中を見た。 なるほどと言う顔で頷くと同時、人の声ではない鳴き声が響いた。 前を見ると、ハチマキを結びなおしている青年がこちらを見渡している。 「行くよ、みんな」 それを聞いて、サンダーホークの先頭で威勢よく返事をした茶髪の青年が、ドラゴンの頭をぽんぽんと叩いた。 「よろしくな!」 直後、ドラゴン達が羽ばたいた。 彼の乗るサンダーホークに乗っているのは4人だが、彼ともう一人、重装備2人を乗せているせいか、かなりしんどそうなはばたきに見える。 彼はドラゴンの体を労るように撫でた。 「重たくてすまない」 呟く。 風の音に紛れて前後の誰にも聞こえないくらいの小さな声だったが、緑の体に変化したドラゴンはギャアと小さく鳴いた。 それを聞いた手綱を持っている青年-ラッシュが、どうかしたのかとサンダーホークに話し掛けたが、返事は無かった。 なんとなく自分への返事だと感じた彼は、また背をそっと撫でた。 「まーたセンダックのじいさんビュウにべったりしてるよ」 前から流れてきた声に、彼は顔を上げた。 足下を見ると、離陸しようとした赤いドラゴンにピンク色の小さなものが飛び付いていた。 そのドラゴンの背に乗っている2人のうち、後ろに乗っている紫色の衣を纏った人間が 前に座る青年の腰にしっかりと腕を回している。 「落ちちゃうもん、しょうがないよ」 ラッシュと彼の間に座る青年-ビッケバッケが、そう答えた。 「バルクレイさんも落ちそうだったらボクに掴まってね!」 「ありがとうございます」 横からの風に耐えるため足に力をいれ、体を低くする。 後ろに座る男-彼の直属の上官-を見ると、この風の中でもシャンと背筋を伸ばし、腕組みして、目を閉じている。 両腿がしっかりとドラゴンの背を挟んでいるのかと思いきや、胡坐をかいている。 勿論重装備だと足を完全に曲げることはできないので、中途半端なものではあるが。 「落ちませんか?」 ちらりと半眼で彼を見た男は、すぐに目を閉じた。 そのまま何も喋らなかった。 いつものことなので慣れている彼は、苦笑して前を見た。 久しぶりに飛ぶ空は、もう春だというのに冷たい空気が流れていた。 「ねえラッシュ、センダック老師ってアニキのことが好きなのかな」 「はあ?いきなり何言ってんだよ」 「そうかな」 「聞かなくてもわかるだろそんなの」 「そう?」 「ちょっと気色悪いよな!」 「そんなことは無いけど…アニキって好きな人いるのかな」 「そんなの決まってるだろ!」 「お姫様?」 「まあヨヨ様はオレに惚れる予定だけどな!」 彼の後ろから小さく「お前なんぞに惚れるヨヨ様じゃないわい」と呟く声がした。 言われた本人までは届かなかったらしい。 話を耳にしている彼の体から緊張が抜けていった。 ナイトの青年2人からは、これから反旗を翻すのだという緊張感が伝わって来なかった。 このままでは後ろに座る上司にどやされる-そう思った彼は、深呼吸をして2人の会話を頭から締め出した。 今更ながら、テードに置いてきた鶏が気に掛かる。 ずっと彼が面倒を見てきたので、愛着が芽生えているのだ。 元々野生化していた鶏だったので、残して来ても問題はないはずなのだが万が一と言うこともありうる。 いつか帰る時まで無事でいてくれるだろうか。 小さく息を吐いて、何とはなしに腹に手を伸ばした。 冷たい鎧の感触が革越しに伝わって来て、かつてそこにあった膨らみが何だったか思い出そうとして、やめた。 風の音が耳を貫く。 ちらりと右前を飛ぶモルテンを視界に入れてから、彼はぐっと拳を握り締めた。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Sendak》 センダックにはモニョとマニョの言っていることは何となくしかわからなかった。 マテライトやビュウにははっきりとわかっているらしい。 人外の生物なのに、何故言っていることがわかるのだろう。 (もしかして、この子たちは神竜の血を引いていたりするのかな) でもそれがセンダックに聞こえる理由だとすると、マテライトやビュウにも神竜の心がわかるはずだ。 そんなはずはないので、やはり別の理由なのだろうとセンダックは考える。 (2人とも、魔力が高いのかな?姫様にも聞こえればわかるのに…) センダックの背中にしがみつき、マニョマニョモニョモニョ話しているプチデビル達に相槌を打つビュウは時たま後ろを振り返って微笑んだ。 人が相手だとあまり見ない表情だった。 「そういえば、センダック」 「え?」 急に話しかけられて、センダックはビュウの腰に回した手をびくりと震わせた。 「フレデリカと、えっと…ディアナ、かな」 「うん、2人はルキアさんが乗ってきた船で先にファーレンハイトに向かったの」 「無事に乗り込めたのかな」 「たぶん、ね」 「どうやって乗り込んだんだ?」 「マテライトが考えた作戦なんだけど、今あそこは手薄だってビュウが教えてくれたじゃない? 何にも使われてないってことも。それでね、今度から交易に使うから、 念のために魔法使いを派遣することになって、派遣されてきたのが私たちですって作戦」 「それ…すごく怪しいと思えるんだけど」 「ディアナだけじゃ怪しまれただろうけど、白魔法が使えるフレデリカがいたからね」 「白魔法が使えると待遇が違うのか?」 「違うっていうか…あそこにいるのは兵士でしょ?傷ついた味方を癒してくれる魔法使いがいれば、 自分たちは本体から見離されているわけじゃないって安心感になるの」 「なるほど」 ビュウが頷いた。 それから取り留めのない会話をして、いつの間にか視界にはカーナの旧旗艦が見えていた。 センダックが昔乗り込んでいた旗艦は、あの頃と同じ姿のまま違う空に浮いていた。 ビュウの右手が横に伸びて、手がちょこちょこと動いた。 それからサラマンダーの首筋をトントンと叩いて、速度と高度を落とす。 (なるほど、下からこっそり近づくんだ) 完全に艦の下に入り込んだ4匹のドラゴンが、ビュウの合図を待つ。 そのとき、ダミ声が微かに聞こえた。 ビュウが声の主をすぐに見つけたようで、背筋を伸ばして左を見る。 センダックもその視線の先を見た。 「なるべく先端に下りるのじゃ!部隊を編成する時間を少しでも稼ぐのじゃ!」 途切れ途切れ聞こえた声に、ビュウは握った左手の親指を立てて返した。 その後、手のひらを上にして腕を上げる。 ドラゴンたちは一斉に浮上した。 センダックは腰に挟んでいたロッドを左手に持ち、着陸後に始まる戦闘を思い身震いをした。 敵の頭上を飛び、先端近くに着陸する。 ウィザードはあっちへ、お前はこっちだと指示を飛ばすマテライトの声が聞こえた。 そっとビュウのそばを離れようとしたセンダックに、ビュウが「気をつけて」と声をかけた。 振り向いて頷き、センダックは小走りにウィザードたちと合流する。 ビュウは分けられたチームを見て、ドラゴンに誰のそばへ行けと指示を与えていた。 ドラゴンが飛び立ったのを確認してから、ビュウはマテライトを呼び止め、赤い斧を両手で抱えて投げた。 とても重そうなその斧を片手で受け取ったマテライトが、何も言わずに背を向ける。 さらにビュウはプチデビルに何かを持たせていた。 駆け寄ってきた3人のナイトとすれ違って、プチデビルがゾラ、ルキアの元へ駆け寄る。 プチデビルはビュウから受け取った-よく見ると軽鎧-をルキアに渡していた。 (ビュウ、大変そう) この数年で使い慣れたロッドを握り締めた。 矢面に立つビュウの隊のそばに、マテライトとゾラの隊がいる。 今センダックがいるところは、そのさらに後ろ、後衛だった。 てっきりマテライトが先陣を切って敵へ向かうのかと思っていたセンダックは、少し安心した。 まだまだ少年であったナイトたちを、あの日のように後ろへ配置する必要はないと踏んだのか、 経験の浅い彼らに経験を積ませようとしたのか、それとも自分が老いたと感じたのか。 あの日から数年。 ようやくこの場に立てることを誰よりも喜んでいるのは、マテライトに違いない。 左前に見える金色の鎧から漂う殺気にも似た気配に、センダックの鼓動が早まった。 マテライトの怒号が響き渡る。 それが戦闘開始の合図だった。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Hornet》 彼は一面が空を映す部屋にいた。 ガラスの向こうから降り注ぐ陽光は、これから昼にかけてさらに強くなる。 そうすれば暑くなるこの部屋にはあまり人は近づかない。 ましてやガラスの前に立つことは困難だ。 この時間に来てくれてよかったと、見物を決め込んでいる彼は思った。 ついさっき空を駆け抜けて行った4つの何かを追いかけてガラスの前に立った彼は、緑地を見下ろした。 手前には、既に艦内に味方がいないことを知らないまま外へ出て行った帝国の兵士たちがいる。 奥に見える侵入者は、ドラゴンから降りた後ばらばらと動いていてすぐに攻めて来なかった。 彼に背を向けている兵士たちが、それを隙とみて侵入者たちへ群がっていく。 右手に炎の柱が上がった。 炎はすぐに消えたが、炎を隠れ蓑として一息に距離を詰めていた4人の兵士が、火傷を負ったと見られる3人の兵士を強襲していた。 その隊はあっという間に片がついていた。 ついで、左手に雷が落ちる。 かと思いきや、同じ場所に巨大な氷が降った。 「おいおい、オレの船を壊さないでくれよ…?」 目まぐるしく変わる光に目を細めながら、彼は成り行きを見守っていた。 彼が見る限り、白い癒しの光は3箇所で上がっている。 加えて、禍々しいまでの炎を帯びた怪物-ドラゴンや、恐怖を植えつけるに相応しい形相のドラゴンがいる。 どう下手な戦闘をしても負ける理由が見当たらないのだが、それにしても侵入者が彼の足元にまで到達する時間は、彼の予想より早かった。 「やるな」 戦略はそんなに悪くないようだった。 疲弊はどの隊にも均等に見えた。 顎を手でさすりながら、彼は考える。 もしも自分ならさっさと大将の首だけ跳ねて終わらせるだろう。 ドラゴンがいるのであれば尚更その方が早いからだ。 現に遊撃隊と見られる隊員の1人が、まっすぐに大将へと向かおうとしていた。 しかしそれをさせなかった者がいた。 後方にいたウィザード達に魔法を詠唱させて、援護の後に距離を詰めてくる。 自分たち全員がこれから力をつけねばならないとわかっての行動なのか、それとも慎重に慎重を重ねているのか、ここからでは判断がつかない。 どちらにしろ、いいブレーンがいるのだろうと彼は見た。 最後に、一番声が大きく彼自身も嫌っていた横柄な態度の兵が首から血飛沫を上げる。 跳ね飛ばした首が落ちて、胴体から上がった血を辿って上を見た隊員と目が合った。 こちらを見ていることがわかれども、顔がはっきりと見えるはずもない距離であるというのに、彼はその隊員の目が青いことに気づいた。 すぐに逸らされる。 その隊員の後ろから品のない金ピカの鎧を着た隊員が艦内へ入っていくのが見えて、彼はそこを離れた。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Crew》 「煩い奴が入ってきたぞ!」 「まだボスが来てないのに何だあいつ!」 そんな叫び声が響く廊下には、数人の男たちがいた。 どの男も青いバンダナを頭に巻き、袖のないシャツを身に着けている。 屈強な体は戦士であってもおかしくないほど鍛えられており、陽に焼けている。 区別がつかない男たちの中の1人が、片手に本を持ち艦内を歩いていた。 罵声が響き、目の前の部屋に品のない色をした鎧の男を閉じ込める所を見る。 奥の部屋の前にも、暴れる男を2人がかりで押さえ込んだ同僚がいた。 大変そうだなぁと呟いた彼の後ろから、彼らのボスが現れた。 右手の扉の前で止まったボスが、振り返る。 そこでボスを待っていた数人のメンバーを確認すると、扉を開けて出て行った。 彼の同僚に続いて、彼が数年前に声をかけて乗ることになった商人の男、そして正体不明の禿げ上がった爺が扉をくぐる。 最後にくぐった彼は後ろ手に扉を閉めた。 ボスの声がする。 禿げた頭の向こうにある背の高いボスの肩越しに、頭、というより髪が見えた。 金髪だ。 頷く声は彼と同じくらいの歳に聞こえる。 ボスが振り返ったので、彼は横に避けた。 前を通ってブリッジへと戻るボスを見送ってから、先ほどまでボスと話していた男を見る。 青年だった。 ひとりひとりに挨拶をしている。 言葉は少ない。 慌てて変装を解いた同僚を見てもニコリともしなかった。 青年は彼にも挨拶をしてから、扉を開けた。 青年の後ろからさらに数人の青年がついていく。 3人くぐり、扉は閉まった。 「あ、おおい、待って、ワシも行く~っ」 白髪の小柄な老人が扉を開けようとして-開かなかった。 蝶番が軋んでいる。 彼が見かねて手を貸すと、老人は丁寧にお礼を言ってから小走りに去った。 「あんな非力でジジイとか、反乱軍て人手がないんですかね」 後ろからそんな声がした。 右手に帝国兵の装備を抱えている。 うけを狙って滑ったやつだ。 「飯を作る係じゃないか」 「そうかなあ」 「なんぢゃお主達、センダック艦長を知らんのか」 禿げたジジイが意外そうな声を上げたので、彼は聞いた。 「艦長?今のが?」 「この船が未だカーナのものであった時代の艦長ぢゃ。カーナ王の側近での、恐ろしい程の魔力を持ったワーロックなのぢゃ」 「ワーロック?」 「白魔法も黒魔法も使えるということじゃ」 「はぁ…?」 「それがどうすごいかお主達にはわからんかのう。そうぢゃな、お主達のボスがこの船を操縦しながらクルーの仕事も全部こなすような」 「ボスなら出来るぜ!」 「おう、ボスはすげえんだからな」 「それぢゃ、そのボスと同じくらいのすごさぢゃ」 「本当かよ」 「本当ぢゃ」 「へぇ~~~」 半信半疑で返事をする同僚と同時に、扉の向こうから響いてくるダミ声を聞いた。 30分前までの静けさはもうない。 彼はその場で語らう同僚の輪を抜けて扉を開けた。 正面の奥に親友がいたので声をかけて近付いて行く。 「お前、リーダーとか言うやつと話したか?」 「話したぜ。一応、力になれること考えてるっての伝えておいたけど」 「そうか。なんか言ってたか?」 「別に?無口なやつだな」 「愛想はあるけどな」 「それで何やるか決まったのか?」 「ああ、オレ本なら大量にあるからどうかと思って」 「本の虫だもんなあ、お前」 親友が笑った。 彼も笑って、それじゃあと本を持っていない方の手を振った。 機関室へ戻ろうと目立たないように作られた扉の前に立つ。 開けようとして後ろから聞こえた何かが砕けるような音に振り返った。 金色の何かが目の前に迫っていて、アッと思うより先に体が避けた。 それは彼の横で通路の点検をしていた同僚を弾き飛ばしながらブリッジへと飛び込んでいく。 同僚の無事を確認しようとブリッジを覗き込んだところを、背中に硬いものが当たり前へ吹っ飛んだ。 強烈な衝撃に一瞬意識が遠くなる。 迫ってくる地面に手をつけようとしたが、そこに先ほど飛ばされた同僚が転がっていたので彼は慌てて軌道を変えて、結果腰を捻った。 下になった同僚が呻きながら目を開ける。 大丈夫かと声をかけたところで頭上を金色の何かが飛んで行く。 慌てて首を引っ込めて目で追うと、それが先ほど閉じ込めた煩い男-ついでに言えばたった今彼らを吹き飛ばした男-だったということが判明して、 彼と同僚は二度ほどそれを蹴り足跡をつけてからブリッジを後にする。 「何だあいつら!!」 「いって、いててて」 「あ、おい、腰捻ったのか?大丈夫か?」 そのまま同僚に付き添われて機関室へ入った彼は、しばらくの間動くことが出来なかった。 夜遅くに親友が戻ってくるまで、じっと耐えて過ごしたのだ。 「誰かに湿布貼ってもらえばよかったのに」 「いや、みんな忙しいから…」 「そりゃそうだけどさ。ここな?」 「ああ」 「はいよ。あ、そういや旗?がブリッジに貼られてたぜ」 「旗?」 「カーナの国旗だってさ。結構雰囲気違うぜ、あるだけで」 「明日見に行こう」 「おう」 「それで、もう反乱軍のやつらは寝たのか?」 「緊張が取れてすっかり寝てたよ。一人だけ外にいたけど」 「ふーん」 「ま、そのうち寝るだろ。オレも寝るよ」 「ああ、ありがとな。おやすみ」 「おう、おやすみ」 パチンと、機関室の照明が切られた。 エンジンはずっと回ったままなので音は絶えることは無い。 でも彼らクルーは昔からエンジン音のそばで育ったので、苦にはならないようだ。 欠伸をひとつして、彼はすぐに眠りについた。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Frederica》 久しぶりに見る姿は、少年を青年へと変えていた。 休息する暇も無かったのか、やつれたような気もするし、顔色も悪い気がする。 いつの間にか背丈は自分より頭ひとつ分高い。 最後に会ったのは、確か編物をするための毛糸を調達してくれた時に話した時だから…。 彼女は考えた。 目の前の青年がドラゴンを探す旅路へついた時、彼女はベッドに臥せっていてお別れも言えなかったのだ。 戦闘からくる疲れなのか、青い顔をしている青年へ向けて彼女は口を開いた。 「せめて今日はゆっくり休んで…」 「みやげ話は、あとにしてもらおうか!」 遮られた。 操縦士の男とは、この船に一緒に乗り込んだ。 マテライトがいつの間にか調達していた人員が、この船に向かう彼女たちと途中で合流したのだ。 この船に-今センダック艦長がファーレンハイトと名づけた-乗り込む際、疑いの眼差しを向ける帝国兵と堂々と渡り合うだけならともかく、 皇帝のことにやたら詳しかったことに、彼女は未だ疑問を覚えている。 ダミ声が響くブリッジで、彼女はちらりとそばに立っている男を見た。 つややかな長い髪をゆったりとうなじの下あたりで纏めている。 後姿だけ見たら女性に見えないこともない。 (でも変装は無理ね。肩幅が大分広いもの…) 腰から下のラインは、優雅な足捌きもあってまるで貴族のようだった。 そのくせ、マテライトの巨体を一撃で壁まで吹き飛ばす力がある。 (筋力が無くてもタイミングや場所で簡単に相手を転がすことが出来るって、ビュウさんが教えてくれた…) でもその場合、なおさら彼は只者ではないということになる。 彼女はさりげなく視線をそらして、傍に立つビュウを見た。 リーダーとしての風格…とでも言うのだろうか。 堂々としていて、周囲の空気が違うように見える。 でもそれは自分の目がフィルターを通しているせいだと、彼女は思っている。 大きな国旗が掲げられたのを見ていたビュウが、彼女の視線を受けて見つめ返した。 「明朝集会じゃ!今日は早く休み明日に備えるのじゃ!!」 「男部屋は左側、女性の部屋は右側でアリマス!いい匂いがするでアリマス!」 そう言い残して半ば体を引きずるように退場したマテライトを見送ってから、彼女はビュウの袖を引っ張った。 ブリッジから出て、細い通路で向かい合う。 目を合わせようとして-動悸がしたので逸らせたまま、 「あの…新しい操縦士のホーネットさんのことなんだけど」 と切り出した時に、彼の目元がぴくりと一瞬だけ動いたことに、彼女は気付かなかった。 「なにかあった?」 「違うの。ただ、何かが…おかしいなと思って…その、うまく言葉に出来ないのだけれど」 「うん」 「操縦士にしてはこう、場慣れ…とも違うけど。ううん、疑うなんて良くないわね。ごめんなさい、ビュウさん」 首を振って否定した彼女に向けて、彼は頷く。 「これから色んな国の人が乗るから、習慣の違いから違和感を感じると思うけど…」 そうね、と頷いた彼女が顔を上げると、彼は横を向いていた。 その先を追うと、扉から半身だけ覗かせた男がいた。 「オレの噂かな?」 硬直する彼女をさりげなく自分の後ろに隠したビュウが、部屋に戻るように彼女に言った。 ぱたぱたと遠ざかる足音を後ろに聞いて、彼は扉から出てきた男-新操縦士に声を掛ける。 「少し、時間はありますか」 「まだどこにも飛ばないからな。正直暇だ」 「話を」 2人のランサーが横を駆け抜けていった。 女性達のはしゃぐ声も聞こえてくる。 彼は閉口した。 それを見て、男が外はどうかと提案する。 彼は頷いた。 男の後ろについて歩きだした彼が、女部屋の扉を細く開けてこちらを見ていた彼女を見つけて、微笑した。 その姿が見えなくなって、彼女の心臓は高鳴った。 焦って廊下へ出ると、誰かのぽよんとした腹に当たり尻餅をついた。 当たられた相手は微動だにせず、片手に持ったおにぎりをぱくつきながら、 「どうしたの?顔色悪いよ?」 と彼女に手を差し出した。 ハッとしてその手を取って立ち上がると、おにぎりを持つ手も合わせ包むように握って、 「ビッケバッケ、お願いがあるの!」 と、有無を言わさない勢いの“お願い”に、ビッケバッケは頷くしかなかった。 《Side View & Hornet》 男の背で揺れる銀色の髪を見る。 ゆったりと結われた髪は碧の紐で括られていて、それはとても優雅な後ろ姿だった。 甲板へ出る。 踏み躙られて焦げた芝生のにおいはもうしなかった。 既に赤く染まった空が銀の髪を染めた。 赤と橙のグラデーションが銀色と交じりあい、不思議だが美しい色に思えた。 振り返った操縦士の男が、一瞬目を瞠った。 訝しげにその理由を尋ねると、男は笑いながら答えた。 「君の髪がな。夕陽に染められていい色をしていたんだ。美しい」 先程自分が考えていたことと同様の言葉が返ってきて、彼はむず痒いものを感じた。 傍に寄ってこようとするドラゴン達を目で制して、彼は男を見上げる。 意を決してから口を開いた。 「サウザーの、右腕だったんだって?」 男はかなり驚いたように見えた。 だが取り乱したり、誰から聞いたのかと尋ねたりはしなかった。 ただ、そうだと頷いただけだった。 「知っているのはオレだけだよ。…だから、疑っているのもオレだけだ」 「ああ」 男は顎を数度撫でて、指を止めた。 「要求でもあるのか」 「凄腕のクロスナイトだったと聞いた」 「ふむ」 「オレに剣をおしえてくれ」 「俺は剣を捨てたんだ」 「でも反乱軍の船に乗っているってことは、戦争を見たくないってわけではないんだろ?」 「見たくないさ。ここにいればお前等が行って帰るのを待つだけだからな」 「…」 ビュウが唇を引き結んだ。 男は夕陽に照らされるその顔を見て、美しい、とまた思った。 唇が開くところをまた見たくて、男は彼に質問を投げた。 「俺も聞きたいことがある」 「?」 「今日、指揮を取っていたのはお前か?」 「そうだ」 唇が動いた。 彼はそれだけで満足した。 それでも始めてしまった会話を繋げるため、先を続けた。 「大将だけ倒せば後の連中は何もできなくなったはずだ。それはわかっていたか」 彼は少し躊躇った後、わかっていたと答えた。 「では何故全ての兵士を殺した?」 「…」 男は彼の瞳に迷いを見て取った。 建前を言うべきか本音を言うべきか悩んでいるように見える。 またほんの少しの間を置いてから彼は言った。 「あんたは卑怯だ」 「なんだ、突然」 「嘘なんかつかせてもくれないんだろう」 「そんなことはない、とも言い切れない」 「…」 急速に暗くなる空に、2人の姿が包まれた。 最早余韻しかない太陽の光がさすほうを見て、彼は絞りだすように声を発した。 「皆に…人殺しに慣れてもらうため」 男が見ていた彼の横顔を照らす光が消えた。 周囲に闇が迫る。 男が見ていると、また彼が唇を震わせた。 「反乱軍はまだ名ばかりで実力もない。オレも、ない。ドラゴンだってまだまだだ。しばらくは敵の強さを探りながら仕掛ける相手を選ばないといけない」 「そういう点ではここの守備が甘くて良かったな」 「知ってた」 「うん?」 「この船がここにあることも、あんたが乗り込んでいることも、あえて弱いものを乗せていることも、知ってた」 「…スパイでも入ってるのか?」 「直接聞いたから。いや、手紙でだ。…まさか本当だとは思ってなかったけれど」 「直接?」 彼が男を見た。 その瞳に、先程までオレルスの空が映っていた瞳に、闇が降りているのを見て、男は口を閉ざした。 自分がここにいることを知っている人間を思い浮かべる。 1人しかいなかった。 「あんたは」 「せめて名前で呼んでほしいな」 「…ホーネットは、何か企んでいるのか?」 「俺はアイツのやり方が気に食わなかったから反乱軍に参加したんだ」 「かつての親友に剣を向けるのか」 「それは俺の役目じゃない」 「!」 空は完全に闇で覆われた。 ブリッジからの光と、甲板へ出るための扉に付けられた小窓からの光だけが辺りを照らす。 それらの光が届かないところに男はいて、彼は背中を照らされていた。 ブリッジに人影が写る。 すぐに消えた。 それを見た男が、また顎を撫でた。 「ここの空は思ったより寒くなるぞ」 「そうみたいだな」 「俺が気になるなら隣に寝るといい。機関室の横だからうるさいがな」 「オレはドラゴン達と寝る」 「信用されたと思っていいのか」 「ホーネットが…裏切る予定なら、オレが傍にいても無駄だ」 「買い被ってないか」 「ない」 即答した彼に苦笑する。 「俺も注意しよう。アイツと知り合いなのは俺だけではないようだしな」 「知り合いなんかじゃない」 「…ふ」 男は口を笑みの形にしながら彼の横を通り抜けた。 艦の扉を開ける。 男が振り向くと、扉からの光は彼の足元迄しか届いていなかった。 完全な闇の手前に立ち、ブリッジからの薄い光が届いてはいるが、男が開けた扉からの強い光には当たっていない。 薄暗い背中は彼が闇を見つめていることを表している。 「ビュウ」 男が彼の名を呼んだ。 彼は振り向かなかった。 そのまま闇の中へ数歩。 背中さえ見えなくなった。 それでも男が闇を見つめていると、突然の存在感が圧迫感を伴いながら、ぬ、と、薄明かりの空間に赤黒い異形の顔を突き出した。 その人間に在らざる者は、一瞬目を大きくした男を見て目を細めた。 笑われた。 そう男は感じた。 異形の主は暗闇に顔を戻すと、一陣の風を起こした。 バサリと一度だけ羽ばたく音がした。 男の体に絡み付いていた圧迫感はすぐに消えた。 「あれが…ドラゴン?」 今になって汗が吹き出た。 男は艦内へ戻ると足早に自室へ戻る。 ドラゴンを間近に見たのが初めてではない男にとって、その衝撃は違和感として記憶された。 男がドラゴンに興味を持つきっかけとなったその出来事は、後にブリッジの非常口からの飛び降りを容認させることになる。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Zora》 まずベッドを決めた。 誰がどこに寝るのか、それはすんなりと決まった。 いずれベッドの数が足りなくなると、彼女は女部屋を見渡して思った。 次に彼女は床と窓に目をやった。 男所帯だったにしては綺麗に磨かれているので、彼女は満足した。 他の部屋の様子を見ようと廊下に出ると、血の気の引いた真っ白な顔のフレデリカを見つける。 早く休みなさいと言う彼女の言葉に、フレデリカはみつあみを揺らしながら頷いた。 頷いたが、ブリッジへ続く廊下を見つめたままそこを動かない。 彼女はブリッジを覗き込んだ。 正面の大きな窓からこっそりと外を見ている、ふくよかな体型の男の後姿が見えた。 「ちょいと、ビッケバッケ」 「え?あっ、ゾラさん」 ちょっと待って、と言ったきり彼は振り向かない。 陽の落ちた外をジッと見ているので、彼女はその横に立って何気なく外を見た。 暗くてよく見えないが誰かが立っている、とわかったとたん強引に手を引かれて窓から離された。 「ゾラさん!」 「なんだい、好きな子の姿でも追ってるのかと思ったら」 「ちがうよう」 ばれたかな、ダメかもどうしよう、そんなことを言いながら1人焦る彼に、フレデリカが声を掛けた。 少し慌てながら彼はフレデリカのもとへ走って、なにやら小声で話しながら姿を消した。 「ふうん?」 フレデリカがビッケバッケにビュウの様子を見てくれとでも頼んだのだろうと考えた。 恋路のことかと思いつつも、それにしてもフレデリカの顔色はおかしかったと気付く。 窓から数歩離れたそこからはもう下が見えない。 また見ようと思う気分でもなくて、彼女は溜息をついた。 計器の類を見渡してやはりきれいにされていることに満足する。 再びふと窓を見たとき、黒っぽい何かがよぎって行った。 どのドラゴンかはわからなかったが、ドラゴンならば乗っているのは間違いなくビュウだろう。 「ビュウには色恋よりもドラゴンだね」 そう呟いた。 「ワシもそう思う」 後ろから予想外の返答が来て、彼女は驚いて振り返った。 白髪の老人がぼうっと立っていた。 「ワシの部屋、ここなの」 「ああ、艦長室は個室なんですね」 老人-センダックが頷いた。 「艦長となると途端にやることが増えて大変ですねえ」 「うん。でもワシ、前もやってたから」 「そうなんですか。でも無理はしちゃいけませんよ。手伝えることがあったらアタシでも、誰にでも声をかけてくださいね」 「ありがとう」 センダックが手を振って部屋へ戻って行った。 彼女は来た道を引き返し、ロビーまで行こうかと考えてからやめた。 女部屋に戻ると、さすがに疲れたのか皆が寝静まっている。 近くのベッドにフレデリカの顔を見つけて、胸を撫で下ろした。 明日からは掃除に洗濯に…買い物がまともにできるようになるにはまだ時間がかかるだろうから、肌着や何かも繕った方がいいかもしれない。 あれこれと仕事を考えていた彼女もやがてベッドに入った。 暗くなった部屋に数人分の寝息だけが聞こえる。 久しぶりのベッドはやはり心地が良かった。 (テードは酷かったものねえ) まるで一ヶ月も前に感じるのに、まだテードを離れたばかりだということに驚きを隠せない。 魔法で癒せない傷を自分が与えているとき、白魔法を学んだ点から見ても彼女の性分から見ても違和感以上のものを感じた。 それは死体を空へ還したときに重くのしかかって来た。 あの庭には出撃のとき以外には近づかないだろうと感じる。 (アタシは何のために白魔法を覚えたんだっけかね…) 怪我人も事故で亡くなった人も見たことがある。 無惨な亡骸は戦いで死んだ者だけとは限らない故に、傷だらけの亡骸だけをさして“むごい”とは、感じなかった。 彼女達が“殺した”者達は憎悪や疑問や何かを全て彼女達に託して死んでいった。 プリーストがそこにいるのに何故- そう言っているように感じた。 それは傷を癒す力を持つ自分だから感じた一種の被害妄想なのだろうか。 思考が堂々巡りをしそうだと気付き、彼女は布団の中で首を振った。 既に始まったことなのだと自分に言い聞かせる。 髪を結わえていた紐を解く。 明日は久しぶりにゆっくりとした湯船に浸かれるかもしれない。 そんな期待に思考をスライドさせて、彼女は微睡みに意識を手放した。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《Side Lancers》 「ようやく僕たちの出番だね、レーヴェ」 「そうだねフルンゼ」 「明日は皆の前でランランランサー!」 「ずっと練習してきた僕らの演舞のお披露目だね!」 「何しろずっと練習してきたもんね!」 「楽しみだね」 「うん、楽しみだ」 「眠れる?」 「眠れない」 「少し練習しようか」 「そうだそれがいいよ」 「誰じゃこんな時間までヒソヒソ話とる奴は!!早く寝るのじゃ!!」 「……………」 「……………」 「寝るしかなさそうだよ、フルンゼ」 「そうだねレーヴェ」 「明日早く起きよう!」 「そうだね!」 「それじゃあ、おやすみ」 「おやすみ」 「…(ランランランサ~)」 「…(ベッドの中でもヤリヤリ!)」 →NEXT 第二章 / RETURN to B.L.-TOP