忍音












ミシリと鳴った肋骨が楽器のようで、面白かった。
耳元で泣き叫ぶ声が聞こえた。
自分の声なのに遠くから聞こえる楽器のように感じる。
肺のどこかから空気が漏れているので、時折耳障りな音も混じった。
窓から見えた雨粒が聞こえるはずのない雨音を再生させて、世界が音で出来ていると感じるのは自分が音声魔術士なせいなのだろうと思う。
胸元に手が触れた。
憎しみなのかそれに似た別の感情なのかわからないものが、暖かい手のひらの下から血と供に溢れ出る。
短い言葉が聞こえる。
肉が動く奇妙な感覚がした。

私を愛せるか、という声が聞こえた。
手を離した男の、感情が読めない眼差しと台詞に、動きさえすれば笑いが漏れていただろう。
小さく小さくしか出せない声は唇の動きさえままならない。
もしそのとき言った台詞が相手に届いていたなら、どうなっていただろうか。
歌うように呟いたその言葉は声にも形にもならなかったけれど。
鉄面皮が崩れて泣くような―――叫ぶようなことは流石にしないだろうが―――場面を見られたかもしれない。
そして、許されなかったろう。

この男にあるのだろう目的に、自分への感情はきっと邪魔なのだろう。
だから、自分への感情はいつしか消されてしまうのだということはわかる。
だから、愛されているのか殺されているのかわからない。
それでも相手の心に己を残したいと望むのならば―――ただ一度殺めるような優しさで―――抱きしめてくれればいいのに。
不器用な男、だと思う。
師であると同時に手のかかる弟のようだと思う。
ぽう、と、先ほど手が置かれていたところのそばに熱が灯った。
また手のひらが置かれたのかと思ったが、少し違う。
揺さぶられ無意識に―――けれど全力で―――逃げようとする体を押さえ込むために男は手を使っている。
でも暖かい、何かだ。
急激に耳から流れ込んでくる音が近くなった。
音だけじゃない、痛みも含めた全ての感覚が体に戻ってきた。
息を吸い込み、止める。
無意識に足に入る力が堰を切って、弛緩したあとに見上げた世界は回転してぷつりと途切れた。





いつからだったかはわからない。
いつかこうなるだろうという予感はあった。
だから不安に怯えるよりはと、自分から誘った。
いつか近いうちに関係も終わるという確信もあった。





泥沼から浮かび上がるような感覚とは、自分でもうまいこと言ったと思う。
沈もうとする意識が空間ごと引き上げられて覚醒した。
しかし億劫で瞼さえ持ち上がらない。
すぐそばで隠されていない呼吸が聞こえた。
どこも動かそうと思うことさえ億劫なのだが、既に目を覚ましていることは気づかれているのだろう。
躊躇いがちに髪に触れてきた手の、無骨さを思い出す。
どんな顔をしているか見てみたいのに瞼は震えるだけで開こうとはしなかった。
それでも、もういないと思っていた人間が横にいたことに驚いた。
考えてみれば本人の部屋なのだからいるのは当然なのだが、いないだろうと思っていたのだ。
囁きが聞こえた。
生存を確認する問いに、唇が笑みの形―実際は痙攣だが―を作った。
それだけが限界で、再び泥の沼に沈んでいった。
その感覚が酷く心地よく、心地よいことが酷く心地悪かった。

遠くで明日の授業について説明している声がした。
何か言われなくてもちゃんと明日には体を引きずってでも出席しますから。
いつも授業、どんなに体が辛くてもちゃんと出てるでしょう。

なんとなく師が今どんな顔をしているかわかる気がした。









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ともひと
2015.7
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