「つまり欲求不満をぶつける相手をお探しになられている、と」
 その疑問のような独り言のような言葉に何も返さず、ただ相手にも聞こえるように舌打ちをした。
 どこにでも現れるこの男と出会ってしまった今、運が無いと諦めることが肝心なのだが、逆にこいつが現れることを想定していなかった自分に腹が立つ。
「おや、黒魔術士殿。本日は特売もございませんよ?」
 早足になったこちらにまったく引けを取らないスピードで―――むしろ自分が速度を上げたことが幻覚だったような自然さで―――男は斜め後ろを歩いている。
 裏路地の、ゴミの山やら木箱やら怪しい袋が細い道をさらに狭くし、障害物競走のようになってから10分後。
「―――いつまでついて来るんだお前は!」
 少し忙しくなった呼吸の合間に、とうとうオーフェンは叫んだ。




恐怖症




 ぐっと手を握り真剣な顔で、その衣服も髪も乱していない男は口を開き、同時にこちらが構成した魔術を防ぐ構成を編み上げる。
 馬鹿馬鹿しくなり自分の構成を打ち消すと、相手の構成も霧散した。
 溜息をつく。
 それにもいちいち反応してくる男のセリフはとりあえず無視をして―――同時に飛んできた何か大きな物体を避けて―――人一人が横向きでようやく通れる細い隙間に飛び込んだ。
 追ってくる気配がないことに一瞬の安堵を覚え、一抹の不安を感じる。
 まるでストーカーのような男の影にびくびくしなければならないのは、先ほどまでやましいことを考えていたせいだろう。
 いつもならばここまでは酷くない―――はずだ。
 服が壁を擦らないよう気をつけながら先を急ぐ。
 この先は確か河川敷のはずだ。
 明るい表通りに出たところで、当然のように
「―――黒魔術士殿」
 という声が聞こえ、その声が普段となんら変わりがなかったことにイラつきを覚える。
 振り返り、今自分が出てきた隙間からにゅるりと現れ、埃ひとつついていない服を整えている男を半眼で見やった。
 男がいつもの無表情で何もいわず見返してくるので、視線をはずしてもう一度舌打ちをする。
「何処まで行かれるのですか?どうせでしたらあちらの方が良いと思われますが」
 白手袋が下流を指す。
 釣られて視線を流すが、記憶通り人家も疎らで手入れもされていない伸び放題の野草が目に入る。
 人気のないところで一戦交えようとでもいうのだろうか。
 いや、こいつがわざわざ相手の許可を得たりすることは今までなかった。
 風になびく、草原というには荒れ過ぎている草原から目を離さないまま正面から飛んできた拳大の何かを避けた。
「いや、俺はお前に用事はない上に早く消えろと思っているが」
「それは奇遇ですね」
「今日―――いやいつもだが今日は特にな、お前に構う余裕とか暇とかねぇんだわ」
「ほう、それほどまでに切羽詰っていらっしゃると」
 カッと頬に赤みがさした気がした。
 勢いで銀髪の男に視線を戻す。
 こちらが口を開く前に、白い手袋から指が一本伸びて唇の手前で静止する。
「奇遇なことに、昨日の早朝お部屋にお邪魔いたしまして」
「―――ほう?」
「寝顔を拝見いたしました」
「ストーカーって呼んでいいか?」
 手袋に覆われた指がゆっくり近づき、唇に触れるか触れないかの位置で止まる。
 一瞬で編み上げた構成を前にしてもじっと見返してくる男の視線に不穏な気配を感じ取る。
「そちらの草原は私の作業場としてもたまに利用しておりまして。ええ、誰にも見つかったことは御座いません」
 意味を推し量ろうと少し顔を顰めたオーフェンの唇に、白い手袋越しの指先が触れた。
 ぞわりとした感触に自然と眉間に皺が寄る。
「私、執事を稼業としております」
 そんなことは知っている。
「執事というものは主人の微表情を読み取り先回りをすることが大事とされております」
「へぇ?じゃあ早く消えろって思っている俺の内心も読み取って一生面見せんな」
「それでですね」
「おい、言っても無駄だとは思うが人の話しを聞け」
 唇をなぞる指を振り払わないのではなく、振り払えないことをオーフェンは自覚していた。
 ぞわぞわとした感触が段々と強くなり、痺れたような錯覚に変化する。
「そんなに早く済ませたいのであれば私は構いませんが」
「?」
「知らない男をくわえて病気になるよりは顔見知りの健康な優良男子のほうが良いと思いこうして参上致しました」
「―――えっと」
「私では如何ですかと申しております、黒魔術士殿」
 オーフェンは目を閉じた。
 一昨日からある飢餓状態一歩手前の空腹感に、別の感覚が混ざる。
 目を開く。
 予想と気配通り、無表情な顔が焦点の合わない距離にある。
 無表情の唇が手袋に撫で回された唇に合わさってから目を閉じて、また薄く開いた。
 近すぎてよく見えない相手の目がこちらを見ているように思えた。




「今まではどのようにされて?」
「それ今聞くのか?」
「ええ」
 足を投げ出して座っている銀髪の執事の足の間で膝をつき、今まさに相手のベルトを外そうとしていたオーフェンは顔を顰めた。
 背の高い草むらは座れば空しか見えなかったが、それでもなるべく人家から離れたところを選んだので腕に草が当たる。
 何箇所か葉で切れた気がするが、指は止まらずに相手のスラックスを寛げる。
 ありがたいことに既に若干形を変えている相手をつかみ出すと、唇から涎が落ちそうになり慌てて眼前のものを咥えた。
「―――まだ答えを聞いてません、黒魔術士殿」
 普段とまったく変わらない声が降ってきて、頭を持ち上げられた。
 まだ三分の一も口に入れておらず、期待にあふれ出ていた唾液がボタボタと相手の太股に落ちた。
「・・・なんて顔をしてるのですか」
 自分の顔なんざ自分で見る気もしない。
 変わらず無表情な相手の、頭を掴んでいた手を押しのけて再び頭を下げながら小さく呟いた。
 宿屋の、という返事が耳に入る。
 顔を斜めにして再び相手の一物を咥え、少し前かがみになっている相手の胸を押す。
 銀髪の執事はその指示通り胸をそらし、肘で体重を支える格好になった。
 いっそのこと寝転んじまった方が楽なのに、と思うが何も言わない。
 後ろへ倒れる際、自然と曲がる膝を上がらないよう押さえていた両腕を、スラックスにかける。
 閉じていた目を開けると、大きなイチゴ柄が目に入った。
 名残惜しさを耐えてゆっくりと引き抜き、下着の前開きから生えている肉の塊の先端を唇で撫でた。
 下着のゴムを引っ張り、前開きの穴をくぐらせてスラックスと同じようにずり下げる。
 軽く腰を浮かせた相手に気をよくしながら、腰骨の下辺りまで下着とスラックスを下げた。
 反っている棒とその下の皺が寄った袋を見て思わず笑んだ顔を、銀髪の執事はいつもの無表情で眺めている。
 その視線を無視して、自然と出てくる唾液を先ほどは体勢と下着のせいで咥えられなかった根元に、舌を使って塗りつけていく。
「黒魔術士殿、腰はくすぐったいのですが」
「我慢しろ」
 腰骨に置いた手がくすぐったいらしい相手は何度か身をよじるが、がっちりと掴んだ手と再び先端から呑まれた己の中心に固められ震えただけだった。
「先に当たるのですが、どこまで入っているのですか、黒魔術士殿」
 唾液の多い音をさせながら頭を上下に振る。
 先ほどのように顔の向きを変えながらゆっくりと含んでいたときとは違い、まっすぐに顔を向けている。
 喉の奥にごつごつと触れる硬いが柔らかい感触が気持ちいい。
「歯はあったと記憶しているのですが」
 どこまで入っているのですか、と再び尋ねた銀髪の執事が、小さく息を漏らした。
 その声を聞きつけ、奥まで咥えた状態でごくりと唾液を飲み込んでからゆっくり顔を引き上げた。
 一度視線を合わせてから、自分の下腹部に視線を落として中腰になる。
 さすがに立ち上がると周囲から見えてしまうので、中腰のまま膝までズボンと下着を一緒に下げて、開きにくい足で相手の腰を跨いだ。
 スーツの上着を少し踏んだが、気にせず腰を落とす。
 膝頭を寄せて内股気味に腰を下ろすと、尻に先ほどまで咥えていたものがぶつかった。
 伸びてきた白手袋―――いつの間にか草むらに完全に寝転んで両腕が自由になっている―――を叩き落とす。
 後ろから回した手のひらを屹立したものに添える。
 反対の手でパリッとアイロンが掛けられた相手のシャツを掴みバランスを取りながら腰を落とした。
 ほんの数センチ押し込んで、腰を上げる。
 再び同じくらいまで押し込み、上げる。
 少し目を見張っている、稀に見る相手の自然な表情にザマァミロと何故か思いながら、少しずつ深めながら腰を上下させる。
 自分の、最近食べていないせいか薄くなった皮膚のそばにある骨を相手の腰に押し付けるような動きですべてを中に収めると、オーフェンはようやく息を吐いた。
 口を開いた相手に視線で黙れと命じる。
 珍しく従った相手は既に無表情に戻っている。
 胸倉を掴まれているが、特に気にしてはいないらしい。
「なあ、お前童貞じゃねえんだろ?」
「ええ」
「男とは初めてなのか?」
「そうなりますね」
「はっ、そりゃ、怖いもの見たさってヤツか?突っ込まれる側だったらどうしたんだよ」
 盛った男相手に相手になろうという、奇特を通り越して愚かとも言えるような先ほどの言葉を言及しているのだ。
「あなた相手ですから」
「は?」
「あなた相手ですから」
 まったく調子を変えずに、聞き返してからの返事も含めて二度言った。
「いや、ちょっと意味が」
 気づくとシャツを掴んでいた手を外されていた。
 腹筋だけで起き上がって来た相手の体に押しやられ、前かがみになってバランスをとってた体が後ろに倒れそうになる。
「ちょっ、倒れ」
 る、と続ける声が悲鳴のような声になった。
 直角に入った相手のものがちょうど良いところに触れるのだ。
 反射的に声を上げないよう喉を絞ったオーフェンの腰を、白い手袋が掴んだ。
 脱いでいないズボンのせいで開けない足が、相手の腹と自分の腹の間で窮屈そうに折り曲げられている。
「イッ・・・テェ、おい待て、足っ」
 大腿骨の付け根に骨が当たる痛みがする。
 相手が起き上がって来たなら自分は離れないと、この窮屈な格好は足の付け根に負担が大きい。
 離れようと腕を突っぱねた瞬間、掴まれていた腰が大きく上下され、勢いよく打ち付けられた。
「―――!!」
 視界が霞んだ。
 痛みを忘れて相手にすがりつく。
 綺麗に撫で付けられていた相手の髪を手で乱していることに、頭の片隅にいる冷静な自分が得体の知れない快感と罪悪感を感じていた。
 そのおかしな感情を考えながら絶頂に耐えているそのとき、再び腰を掴む腕に力がこもった。
 待て、と言おうとした冷めた理性に本能が囁きかける。
 懐かしい衝動だ、と。
「ア、ッ、―ィス、もっ、動ィ」
 聞こえなくても意味は通じたのか、自分の足越しに抱え込んでいる銀の頭が肯定の返事とともに小さく頷いた。
 柔らかな皮膚に覆われた、硬い、玩具とは違う感触に久しぶりの充足感を得る。
 先ほどまで咥えていたものを想像して再び唾液があふれてきたが、飲み込む余裕は無かった。



 結局陽が翳るまで腰は揺さぶられ続けた。
 体勢を変えることも許されず、ずっと掴まれていた腰から手が離れたときに感じた寒さと安心感が両立することにおかしさを感じ、ククッと小さな笑い声が漏れる。
 抱え込んでいた頭を離して、重力だとか体が自然な位置に戻ろうとする力だとかに逆らわず仰向けに倒れる。
 ぐしゃぐしゃにされた髪を整えている男のいつもと変わらない表情が視界の端を横切った後、色が変わり始めた空と草で視界が覆われた。
 若干痺れたように感覚がない足をゆっくりと伸ばす。
 必然的に抜けた男の急所を気にすることもなく、相手の上半身に遠慮なく踵を落とす。
 手で受け止められたが、勢いを殺しただけで着地点は変わらなかった。
「お前、何回出しやがった・・・?」
 覚えていない時間が途切れ途切れで、ある。
 じわじわと戻る理性が、体の異常を訴えだした。
 何度か、離せとわめきながら頭を殴りつけた拳は痛みを。
 足はもうしばらく動かしたくないほどの違和感を。
 荒くなった男の呼吸がかかっていた胸と腕と、そして掴まれていた腰は寒さを。
 痙攣している尻は、男の精液でぬるぬるする。
 自分の上半身と太股は自分の精液で酷い有様で、一張羅とはとてもいえない状態になっているだろう。
 声は枯れていない。
 それだけは文字通り死守するように何度も言われ続けたからだ。
「魔術師殿、動きますが」
「あー、帰れ。俺もそのうち帰る」
「では遠慮なく」
 懐かしいような気色悪いような、精液にまみれた尻の下にあったキースの下半身がぬるりと抜けた。
 覗き込んできた男はいつもの髪に戻っている。
 掴んで皺まみれになった服やまだ直していない下半身はともかくとして、平常どおりだ。
「!?」
 気づくと小脇に抱えられ、もがきだした時には空中を舞っていた。
 清清しそうな顔をした男の顔が逆様に見え、その足元に川が見えた。
 自分の顔が引きつった笑みを浮かべているだろうことが予想できたそのコンマ数秒の後に、オーフェンは川底に頭を強打して意識を失った。










「ちょっとオーフェンさん、聞いてます?」
「・・・ああ」
「男が二人で川遊びっていうだけでも寒いのに、気絶するまで遊ぶとかやめてくださいね」
「・・・ああ」
「次そんな状態で運ばれてきたら、僕は面倒見ませんからね」
「・・・ああ」
「まぁ、今回いろいろ着替えとか手伝ってくれたのはキースさんで僕は何もしてないですけど・・・」
「・・・ああ」
「さっきから、ああ、ばかりじゃないですか!ちゃんと聞いてるんですか!」
「・・・ああ」
 さらに喚くマジクが、ああと答える以外に動きもしないオーフェンの毛布を剥ぎ取った。
 抵抗なくはがされた毛布の下で、半裸の体が気だるそうに起き上がり、緩慢に動いてマジクの手から毛布を取り返した。
 そして再び毛布に包まる。
 ああ、という短い返事が涙声なことに気づかないまま、マジクは文句を言いながら部屋を出た。
 入れ替わりでその父親が手に盆を持ってやってくる。
 湯気が出ている小ぶりな皿が乗った盆を小さなテーブルに置き、先ほどまでマジクが座っていた椅子を引いて座った。
「お前を送ってきたというアイツが相手か」
「・・・ああ」
「昨日は集会で一日留守にしていたからな」
「・・・ワリィ」
「貞操なんて気にしちゃいないが、体は大丈夫なのか」
「ぶっ飛んだけど怪我がないって意味では、大丈夫だ」
「ふ。若いな。乗り換えるか?」
 ここに至ってオーフェンはがばりと起き上がり、
「冗談じゃねえ!俺はもうそんな無茶してえ歳じゃねえんだよ。・・・アンタが付き合いきれねえなら別だけど」
「・・・ふ」
「何笑ってんだよ」
「お前もまだ若いはずなのにな」
 ムスッとしたいつもの表情で、オーフェンが唇を尖らせた。
「まあ、無事なことが若い証拠だ。・・・粥を作った。ツケだけどな」
「ツケな。まあそのうち払うと・・・思う」
「マジクが気づく前に払えよ」
「はあ?」
「アイツもいつまでもこどもじゃないってことだ。息子の童貞がお前に奪われるってのも複雑だからな」
「不吉なこと言うなって・・・」
「そうだな」
 そういうと宿屋の主人は椅子を立った。
 数日後には親子二人がベッドに上がり込んでいるとは夢にも思っていないオーフェンは、笑いながら粥を口に運んでいた。


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