「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど・・・」
「―珍しいな。今日は走らないのか?」
「この後行く」
「そうか。それで、どうした?」
「あー、その・・・。・・・・・・・・・。来週の神奈川なんだけど」
「啓介」
 キーボードを叩く音が止まり、椅子が回転した。
 少しの間を置いてから、小さな溜息が聞こえる。
「藤原の話だろ?」
「・・・いや、やっぱいい」
「そうか?」
「ああ」
 ドア閉めておけよ、という声が聞こえた気もする。
 後ろ手に閉めたドアが閉まる音が遠く感じた。
「集中しろっつーの・・・」






「たーくみぃー」
「・・・ん?」
「あの子とはどうなんだよぉ。どこまで行ったんだ?」
「・・・?その辺だけど」
「前と同じボケかましてんじゃねえって!」
「え?あ、ああ。いやまだそんなんじゃねえって」
「ふ~~~~ん?まだ、な?」
「なんだよ。絡むなよ」
「別に絡んでねーよ」
「ふーん・・・?」
「ところで涼介さんが」
「ブッ」
「なんだよきたねーな!」
「ゲホッ、や、悪い」
「あ、わりぃ電話だわ」
「おお。俺、行くわ」
「おう」



「・・・涼介さんが、なんだったんだろ」






『藤原?
 あのさ、話したいんだけど。ちょっと明日はいけないから、出来れば今日中に。
 うん、電話じゃなくて・・・会いたいんだケド。
 はあ?俺だって会いたいくらいいうぜ。あんまりっていうか・・・お前が初めてだけど。
 ・・・・・・・・ああ。
 迎えに行く。
 わかった、18時過ぎな。うん、じゃ』

 18時きっかりに現れた黄色のFDが目の前で停車した。
 丸みを帯びたボディが西日を反射して、少しオレンジ色に見える。
 最初は抵抗があったアシスタント席は空いている。
 そこに自分が座ることにまったく抵抗がないと言えば嘘になるのだが、ためらいは残っても緊張はしなくなってきた。
「雨、降りそうだな」
「夜から雨って・・・会社の人が言ってた気がする」
「マジかよ」
「俺は天気予報見てないから知らない」
「いつまで降るんだろうな」
 ゆっくり発進した車は右車線へ進んだ。
「・・・?どこ行くんです?」
「別にどこでもいーんだけど。車・・・でも」
「ふふ」
「な、なんだよ急に」
「アンタ、前もそんなこといってホテルに連れてっただろ」
「――!しょうがねえだろ、男二人で入ってゆっくり話せるとこが思いうかばなかったんだから」
 横から聞こえる拗ねたような声に、胸がじんわりと熱くなった。
 ちらりと横を見る。
 ドアに頬杖をつきながら、片手でステアリングを握っている。
「――あのさ、単刀直入に聞くけどさ」
 ちら、とこちらを見てすぐに前へ視線を戻したドライバーが、単刀直入と言う割にはどことなく遠慮がちな声音で言う。
 普段は聞かない声だと、どこか人事のように思った。
「なんスか」
「お前、彼女と付き合うことになったら俺・・・とは別れるんだろ?」
「まあ・・・そういうことに、なります。あの子見てると、こう、手繋ぎたいとか思うんです」
「そうか」
「あの、ちゃんと決めたら言うつもりだったんですケド」
「ああ」
 それきり、しばらく車内は静かだった。
 落ちて来た雨粒が窓を叩く音や、ウィンカー、そして道路によって変わる走行音がかすかに聞こえる。
 いい車は違うよな、と思う。
 少しして、見慣れた道に出た。
「あれ?どっか行くんじゃないんですか」
「話したかっただけだ」
「あ、そう・・・」
 あと10分も走れば自宅前に着く。
 何処となくいたたまれないこの空間から出られることにほっとするような、物足りないような複雑な心境だ。
 正直、二度目は最初のときより気持ちよかったし、期待してなかったといえば嘘になる。
「・・・ホテル、行かないんですか?」
 一瞬車が揺れた。
 すぐに軌道もスピードも修正されたが、顔が引きつった。
 無言のままだったが、車線が左に移ったことで行き先が変更されたことがわかった。
 自宅からは三つほど先の駅近くにあるホテルに車は滑り込んだ。



 何も言わずに降りた相手を追って、慌てて降りる。
 一度も振り返らないまま部屋のボタンを押し、鍵を受け取り、エレベーターに乗った。
 乗る前に閉められるんじゃないかという不安が頭を過ぎる。
 さすがにそれはなかったが、視線を合わせようとしない啓介が相手だと居心地が悪い。
 エレベーターの扉が開く。
 鍵を鳴らしながら啓介が降りた。
 部屋に入り、靴を脱ごうとしたところ脱がなくてもよい部屋だったことに気づき、足元から視線を戻した。
 数歩前で、ようやく振り返った啓介が壁にもたれながらこちらを見ていた。
「お前、どういうつもりなんだ」
「え・・・?」
「ふるってわかってる相手を誘って、どういうつもりなんだって聞いてんだよ」
「どうって、そんな、・・・そこまで考えてねーし・・・」
「お前にマジ惚れしてるヤツからかって楽しいのか?」
「マジ惚れって」
「そうだろ?」
「・・・そんなこと言われても」
「なんだよ」
 ちら、と啓介を見上げる。
 怒っている。
 怒っているのだが、何故か泣いているようにも見えた。
 大体、ホテルに誘うことの何がおかしいっていうのか。
「だって今の俺のそのこっ・・・コイ・・ビトは、アンタだろ?」
 視界に入っていた相手の拳が握られるのが見えた。
 殴られるのかと、反射的に腕で頭をかばう。
 身構えたと同時に、やはり体に衝撃が来たが、予想とは違う上に息苦しい。
 きつくつむっていた目を開けると、啓介の顔がすぐ近くにあった。
 抱きしめられていたのだ。
「お前・・・畜生」
「あの、当たってるのちょっと」
「んだよ、好きなヤツにんなこと言われたら仕方ねえだろ」
「なんのことです」
「いいから来いよ」
 手を引かれた。
 初めてのときも、こんな風に手を引かれたような気がする。
「風呂とか、なしだぞ」
「え?俺仕事上がりで埃っぽいし、やです」
「ホントお前・・・じゃあ風呂場な」
 ベッドを目前に啓介が反転する。
 初めて入ったところほどの広さではないが、丸い形をした風呂には興味を惹かれた。
「なんだこれ、ジャグジー?」
「おい、脱げよ」
「脱ぎますよ。っていうか出ててくださいよ」
「何言ってんだ。一緒に入るんだよ」
「そっ、やですよ!」
「お前に譲歩してやっただろ?俺にも譲歩しろよ」
「横暴だ」
「お前こそ」
 シャツを脱ぎ捨てた啓介が、何かに気づいたのか一度脱衣所から出て行った。
 その隙に全てを脱ぎ、風呂場へと入る。
 風呂の栓は既にされていたので、カランをひねった。
 設定されているお湯がどぼどぼと出てくる。
「お前、本当に風呂入るつもりなのか?」
 振り向いた。
 あきれたようでいて目が笑っている啓介は、手にコンドームを持っていた。
「・・・」
「譲歩しろって、言っただろ」
「え、風呂でって、そういう意味?」
「当たり前だ」
「それはちょっと」
「大丈夫だよ。ちゃんと中も洗ってやるから」
「え」















 久しぶりに吐き出した煙が、天井に取り付けられた通風孔に吸い込まれていった。
 少し無茶をしたかな、と、背後で伏している青年を見る。
 寝ている、というよりは気絶したのだと思う。
 足を開いた状態で正座をしたまま前に突っ伏した姿勢の寝相は見たことがないからだ。
 先ほどまで持ち上げてい揺さぶっていた尻は赤くなっている。
 その間から見える入口は、散々広げたせいかまだ指一本分ほどの口をあけて小さく震えている。
 シャワーのヘッドを外して突っ込んだり、特大ローションを一本まるまる使ったりしたせいだろうか。
 周囲もローションでぬるぬると光っており、意識がない今なら先ほどより簡単に入りそうだった。
 携帯灰皿を探そうとして、脱衣所に脱ぎっぱなしの上着に入っていることを思い出す。
 枕元にあった銀色の灰皿に、一服しかしていないタバコを押し付けた。
 新しいコンドームを取る。
 自分の手もだいぶぬめついていて、開けるのに苦労した。
 なんとかセットして、意識のない相手の腰を持ち上げる。
 自分に手を添えずに小さく開いた穴に押し付けると、そのままずぶりと入り込んだ。
 非常に柔らかい。
 先ほどまでの無遠慮な締め付けもたまらなくよいのだが、これはこれで最高だ。
 規則正しく上下する相手の背中を見る。
 その奥、ちらりと見えた横顔に、汗で髪が張り付いていた。
 よく見れば頬に涙が伝った跡もある。
 意識が戻ったあと、怒られるだろうか。
 漠然とそんなことを感じたが、ゆるゆると動く腰は止まらなかった。


「―ァ、信じら・・・ネ」
「起きたのか?」
 掠れた声が聞こえた。
 達しそうになっては止まり、落ち着いてから動き出すを30分ほど続けていた頃だった。
「俺・・・寝・・・」
「ああ」
「も、動くな・・・イきすぎて痛・・・」
「じゃあ、これ最後な」
「あぶ」
 突き上げると、声を殺すためなのか枕に突っ伏したようだった。
 顔を上げられると腰が逃げるので、そのほうが体勢としては正直ありがたい。
「・・・啓介さん、もう限界」
 掠れた声に涙が滲んでいる。
 懇願に近いその声はまるで誘惑のようで、啓介は知らず乱暴に突いていた。
 嬌声のような悲鳴が届く。
 先ほどまで覆いかぶさっていた背中につけた痕が生々しい。
 無意識に噛んでいたのか、紫色の歯型がついた場所もある。
 それをつけたのが自分だと思うと、ゾワリとした。
 こういうのを征服欲というのだろうか。
 誘われるように、体を伸ばしうなじに噛み付き、果てた。













「アンタ、ほんとサイテーだ」
 ムスッとした顔がそう呟いた。
 風呂上りのせいか顔が赤い。
 腰が立たないと言っていた割には元気そうだ。
 車を降りようとする腕を掴んだ。
 自分でも何故そうしたのかわからない。
 唇を尖らせて、けれど腕を振り払わない彼に安堵する。
「お前がもしその子と付き合うことにしてもさ」
「は?」
「俺を振るなよ」
「・・・えっと」
「恋人じゃなくて愛人でってのも変だけど。たまにこうして会ったりしてもいいだろ」
「トモダチ付き合いは別に、ヤじゃないですし、Dでも会いますからそんな抵抗はないですケド」
「友達か」
「恋人が別れたら友達とかなんか仲間に戻るんじゃないですか」
「・・・さあな。そんな付き合いしたこともねえ気がする」
「なんか最低なこと聞いた気がする」
「なあ、藤原」
「?」
「俺、ホントお前が好きなんだ」
「――」
 さらに赤くなった顔で、掴まれた腕を振り払いドアを開けた彼に、
「考えておけよ」
 と声を掛けた。
 返事はなく、ドアは乱暴に閉められた。
 小雨の中走っていく後姿は、角を曲がりすぐに見えなくなった。















「おう、お帰り」
「・・・ただいま」
 変な歩き方をしながら入ってきた息子に、文太は顔を顰めた。
「おい、お前熱でもあるんじゃねえのか?傘差さなかったのか?」
 すれ違いざまに鼻につく、におい。
「彼女とホテルでタバコか?」
「なっ・・・なに?」
「年頃だねえ」
「すわねえし!」
「どっかで風呂入ったんだろ、お前。んで髪乾かす前に吸ったろ。タバコ臭ェ」
「――!」
 赤い顔の息子は足音を立てながら脱衣所へ消えていった。
 ちょうど洗濯機が終わる音がして、後を追う。
 脱いだものをカゴに入れようとする息子を止めて、洗濯機の蓋を開けた。
 中のものをカゴに移し変える。
「お前、それ洗うか?もう今日洗っちまったけど」
「あ、ウン。明日でいい」
「そうか」
 息子もホテルに行く年頃になったのかと、感傷に浸る。
 考えてみればもうすぐ成人なのだ。
 シャツを脱いで風呂場へ消えていく背中を見る。
 歯形が見えた。
「・・・?」
 情熱的な彼女なのだと思った矢先、腰にありありと浮かぶ手形を見つける。
 風呂場へのドアが閉まった。
 背中に歯形が付く理由、腰に手形が付く理由を、文太はタバコの先から灰が落ちるまで呆然と考えていた。





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