高速道路の話























「ほら、天現寺から高速乗ってよ、合流するとこにある看板」

「道路標識?」

「そそ」

「それが?」

「そこに出たんだって」

「そりゃ渋滞情報が出ますよ」

「ちげーよ!幽霊がだよ!」

 恵比寿を根城として何年も仕事をしている通称"やっさん"が
 突然とそんなことを言い出した。

 社内で交わされる会話は、
 大抵が今日の売り上げについてだとか
 先週の売り上げランキングがどうだとか
 乗せた客が煙草くさくてどうだとか
 事故の現場を見ただとか、
 麻雀、パチンコ、競馬、そんなことばかりだ。

 やっさんは博打をしないことで有名なので
 スロット好きの俺とはあまり仕事以外の話をしない。
 だからといって、こんな非現実的な話をするような人じゃないことを
 仕事を始めたばかりのころに色々教えてもらった俺は知っている。

「幽霊・・・ですか」

「おうよ」

 紺色のベストをきっちり着こなして、
 もう頭は白髪ばかりのやっさんが真面目な顔をして俺に言う。
 至極誠実なやっさんが、だ。

「そうだよなぁ・・・。誰も信じねぇよなぁ、こんな話」

 肩を落としてやっさんは呟いた。
 そして思い出したようにこう言った。

「ってわけでよ、車、故障して今修理だから。代わりの車使ってくれや」

「えぇっ!?やっさん事故ですか!?」

「ばかやろう!俺が起こしたんじゃないわ!」

「怪我、怪我は!?」

「ピンピンしとるわ!見りゃわかるだろ!」

 うちの会社は、二人で一台を共有している。
 約24時間出ずっぱりで仕事をしている運転士が
 何日もずっと乗っているわけは無い。
 二人の人間が交代で使用しているのだ。

 だから、自分の前の出番の人が事故を起こして車をぽしゃらせたら最後
 余っていた、普段とは違う車で行くか、
 配車が無かったら仕事自体が出来ないので帰るしかなくなるという、
 一日のノルマが決まっている俺達にとっては
 かなりの痛手を負う可能性があるのだ。

「どんな事故だったんですか?」

「いやぁ、だから幽霊がよぉ」

「はぁ・・・」

「前の車の奴もそうなんだけどよ、まぁ周辺にいた奴らがみんな
 標識の横に座ってた幽霊を見て度肝を抜かしてよ。まぁ玉突きだわな」

「えぇっ」

「エッってお前・・・なんだニュース見てないのか?
 もうさっき出てたぜ。これで今月で5回目だってな」

「あ、あぁ、あの辺り合流危ないですもんね。
 確かに今月に入ってかなり事故が増えたっていう噂は聞きますけど、
 幽霊って言うのは流石に・・・」

「特番もやってるっちゅうのにお前は・・・」

「すみませんうちテレビないもんで・・・」

 やっさんが頭を抱えたとき、更衣室のドアがノックされ
 部長が顔を出し、俺を見つけて手招きをした。





「やっさんからもう話は聞いたか?」

「あ、はい。車が駄目ってのは聞きましたけどー・・・」

「まぁ、そうだ。しょうがないから車を用意したんだが。
 大丈夫だとは思うがなぁ、そのなぁ」

「何ですか?」

「黒塗りだから、気をつけて扱ってくれよ」

「本当っすか!?うわぁ漁夫の利だ〜!」

「そういうのは心の中で言ったほうがいいんじゃないか・・・。
 言っとくが今日だけだからな」

「は〜い」

 にっこりと笑って、俺は部長から鍵を受け取った。
 タクシー車にもランクがある。
 普段は一番低いのから二番目を使っていて、正直24時間乗っている運転士には
 とっても評判がよろしくない。
 振動はガタガタだし、壁は薄いし、何より乗り心地が悪い。
 うちの会社の黒塗りは、上から二番目までのグレードの車しか使わないので
 腰が疲れなくてとてもいいのだ。
 そこいらの無線よりも、客が手を上げてくれるし。
 俄然、やる気が出てきた俺はウキウキしながら今日の仕事に就いた。












 俺の意気揚々とした気持ちがくじかれたのは、
 午前1時過ぎに恵比寿の駅で客を乗せた後だった。

 既に今日の分のノルマを達成し、午後11時というとても早い段階で
 もう帰るかどうか悩んでいた俺は、最後の仕事としてロータリーに並んでいた。
 終電が終わった時間ということもあって、そこそこ人は並んでいる。
 1時間ほどロータリーに並んだ俺が乗せた客は、
 スーツを着た仕事帰りの男性だった。

「とりあえず天現寺から高速に乗って・・・レインボウブリッジに入ってもらえますか」

「今日は天現寺の先のところで事故が合ったようで、もしかすると上は通行止めか・・・
 とても混んでいる可能性がありますが」

「天現寺からで、構いません。高速でお願いします」

「かしこまりました」

 行き先を言わない客の場合、行き先を必ず聞き出せとやっさんに言われたのを思い出し、

「失礼ですが、どちらまででしょう」

 と付け加えた。
 ミラー越しに見た男性と目が合い、思わずそらしてしまう。

(なんだこの人、結構いい男じゃないか)

「ん・・・途中寄ってもらうところがあるのですが、お台場までです」

 笑顔で、男性が答えたのがわかった。
 お礼を言いながら俺はアクセルを踏み込み、しばらくしてからもう一度
 男性の顔を伺い見た。
 やはり中々の男前だ。
 珈琲缶を片手に、どこか物憂げに窓の外を見つめている。
 物腰といい、もしかしたら会社でかなりの上役を務めている人かも知れない、と
 勝手に判断する。
 そうでもしないと暇で暇で仕方がないのだ。

「では高速に乗りますので、高速ボタンを入れさせていただきます」

「はい」

 ピ、とメーターが音を立てる。
 ETCゲートをくぐり、高速へ乗った。
 そして合流に差し掛かり、やっさんの言葉を思い出しかけたとき、
 それは起こった。


 キキーーーッ


 思わず目をつぶるのと、ブレーキを思い切り踏み込むのは同時だった。
 衝撃は伝わらず、安堵したのも束の間、後ろから聞こえて来た呻き声に
 冷や汗が出る。

「もっ、申し訳ございません、大丈夫ですか?」

「大丈夫です、シートベルトを締めていましたから。・・・何か?」

「あぁ、はい、目の前の車が急にブレーキを・・・あれ」

 俺の言葉はそこで止まってしまった。
 前にいる車の中から人が出てきて来るのだ。
 罵声を発しているわけでもない。
 どちらかというと、上を見上げている。
 しかも、周辺の車の奴らまでわざわざ車を降りて、だ。

 彼らのように降りて見上げたいところだが、
 売上金を積んだ車と客を置いておくことは出来ず、
 俺はフロントガラスから覗き込むようにして上を見た。

 そこには。

「幽霊・・・!?」

「え?」

 後ろから上がった声に、一瞬飛んでいた意識を取り戻した。
 
「あ、いえ、標識のところに人がいるんですよ」

「高速に人が立っているのですか?」

「いえ、その・・・道ではなくて、上の標識のところに・・・」

 なんと答えればいいかわからず、俺はもう一度前を見た。
 男前の客も、シートベルトを外して身を乗り出して来る。

「わ・・・」

 なんとも言えなかった代わりにだろう。
 男性はそんな感嘆詞をもらした。




 少し先には何台もの車が並んで止まっていた。
 先頭のほうはどうやら接触があったらしく、運転手たちが揉めている様子が伺える。
 それ以外の人間は不思議と野次を飛ばすわけでもなく、
 言い争う二人の男を見るわけでもなく、
 上を見ていた。
 そう、看板にいるうっすらと光る何かを。

「人・・・ですよね」

「あんなところにいますけど、まぁ・・・人ですよね」

「初めて見ました。あれが噂の幽霊ですね」

「あれ、お客さんご存知でしたか、その噂」

「えぇ、噂だけ」

 うっすらと光るように見えるのは、
 白、いや、もう少し輝いたような色の髪だからか。
 たまに白い手首だけが見えて、髪をかきあげている。
 体が見えないのは、恐らく服が黒なのだろう。
 顔は、ここからでは良く見えない。
 ついでに言えば、その幽霊が何処を見ているのかもよくわからない。
 俺が見ていたのも束の間、その幽霊は突然立ち上がると、
 トンと軽く地面・・・といっても鉄骨だが、を蹴って左下へと落ちて行った。
 周りの人間がざわめく声がした。
 下を覗きこんだ人たちがあちこち見やるところからして、
 地面に死体が転がっている、ということはないようだ。

「はぁ・・・消えちまいましたね」

「そうですね・・・」

 途端に現実に引き戻されたような気がして、
 俺は頭を掻いた。

「とりあえず、どうします?しばらく動かないかもしれないですよ」

「構いません。仕方ないですし、待ちましょう。いいものも見れましたし」

「いいものネ・・・ハハッ」

 思わず乾いた笑いを漏らしてから、ハンドルを握りなおした。




 数日後、やっさんと幽霊の話をした。
 幽霊がついにビデオに撮られたらしく
 やっさんはそのビデオが流れる特番を一緒に見ようと言ってきた。

 俺はロッカーに預けていたMP3プレイヤーを取りに来ただけで
 仕事をするわけではなかったので、やっさんの申し出を受けた。
 しかし。

「おいおい、映ってねーじゃねぇかよ」

 やっさんがそういうのも無理はない。
 この番組は視聴率を撮るためのやらせなんじゃないかと言うくらい
 幽霊の姿は何処にもなかったのだ。

「看板の上に誰もいないですよねぇ?」

「あー。なんか周りの奴は幽霊だのなんだの騒いでるけどなぁ。
 ちゃちい悪戯だぜ。悪かったなつき合わせて」

「いえいえ、でも俺も実際に眼で見るまで信じ・・・あれ」

「ん?」

「やっさん、ココ・・・ねぇ、ココにいるの」

 俺は録画時間のすぐ横を指差した。
 右にカーブする高速道路の合流地点を、少し後ろの方から映しているそのビデオに
 見慣れたものが映っていた。
 頭に三角の箱を載せた、黒塗りのタクシー。

「うちの車・・・ですよね。っていうかこれ・・・」

「おいおい、この日付事故った翌日じゃねぇか」

「この配車ナンバー、この日俺が運転してた車ですよ・・・」

「・・・」

「・・・」

 ちょうどそのとき、アナウンサーの声が入る。

『私の肉眼では捉えられていますが、ビデオには入っていないようです。
 これがやらせではないことは、この車から出てきた大勢の方が
 証明しています!やはりこれは』

「げ・・・」

 思わず声を漏らした。
 印象的だったあの男前の客が映り、確信する。

「やっさん・・・」

「おう・・・」

「今度一緒にお祓い行きましょうか・・・」

「そうだな・・・」

 もう天現寺から高速に乗るのはやめようと
 おやっさんと二人で誓い、テレビを消して
 おやっさんと俺は別々の帰途に着いた。




2007/11
ともひと