序章-4






                  《Side Bikkebakke》
寒い。
ラッシュがぶつぶつ呟いている。
その愚痴をなだめたりたしなめたりするのは、いつもトゥルースの役目だ。
もうすぐ冬になる空は寒くて、ボクはといえば防寒具・・・はともかく、食料が足りるかどうかのほうが重要だったから、ほとんど聞き流していた。

「あそこだろ?」

ラッシュが指差した孤島には森があった。
カーナが滅んだあの日、アニキは敵からの集中砲火を受けることを予想して、ドラゴンをサラマンダー意外は逃げるように指示をだしていたんだ。
逃げるように指示を出した先が、最上層のカーナと最下層のテードの間にある、あの森なんだって。

「そうだ」

と言った。
サラマンダーはアニキからの指示を待つことなく下へと首を向けた。

「今日キャンプが出来そうなところはあるかなあ」

ボクがアニキに進言できることといえば、食べられる実がなる木や草を知っていることくらいだから、ボクはそんな木が生えているところを必死に探した。
水場があるところにしか生えない木を見つけて指を差すと、サラマンダーはまた進路を変えた。

「どこ行くんだ、ビュウ」
「探すにしろ、とりあえずテントを張るところを探さないと」
「あ、そっか」

ドラゴンが着地すると、トゥルースが背中の大きな荷物を下ろした。
アニキは小さな湖に近づいて、慎重に中を覗く。
サラマンダーはそのアニキの横に立って湖の水を飲みはじめた。

「大丈夫だな」
「では私は木を拾いに行きます」
「オレはドラゴン探しだぜ!」
「この森くらいなら今日1日で探索し終えるね」
「ボクは洗濯しようかなぁ。どうしよう」

アニキに明日の出立予定を聞くと、早朝かなという答えが帰ってきた。
それだと、これから洗濯をしても干すだけの時間がない。
とりあえず、アニキと連れ立ってテントを張る場所を探すことにした。
木々に囲まれていて、でも火を置くスペースくらいはあるような場所を探す。
ぐるっと一周してしまったのか、また湖に出てきたときに、アニキが

「え?」

と言った気がして、僕は振り向いた。

「あれ?」

アニキの声で振り向いたのに姿がなくて、見上げたところにはサラマンダーがいた。
ようく見るとその背にはアニキがいたけど、慌ててサラマンダーの背にしがみついたような格好をしているところをみると、
サラマンダーがアニキを無理やり空の散歩に付き合わせた様な、たぶんそうかな。

「アニキー!ボク1人で大丈夫だから行って来て!」

叫ぶと、アニキの返事を聞かないうちにサラマンダーは飛んでいってしまった。
すごく速い。
ボクを乗せているときはあんなに速く飛ばない気がするんだけどなぁ。
見送って湖を見ると、今日の夕食に良さそうな魚が泳いでいた。
ボクはその大きさに感動しながら、竿になりそうな、長い枝を探す。
きっと今日はご馳走だ!



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side Truce》
ヘルムに引っ掛かって折れた小枝が視界に入り、ひどく邪魔だった。
けれどそれを振り切っている暇さえなく、目の前でまたモルテンの血が飛び散った。
悲痛な叫びが聞こえ、指先は冷たくなった。
遠くでサラマンダーの雄叫びが聞こえた気がして、彼は遠ざかりかけた意識を戻し、すぐに右へ大きく跳んだ。
その地面を太い爪が乱暴に抉る。
もつれそうな足をばたつかせながら、トゥルースは走った。
そしてすぐに転んだ。
背後の茂みから熊の唸り声と輝く目が見えた。

「いけ!」

3度目の命令を放つ。
しかしモルテンはまた攻撃を仕掛けなかった。
その代わり、トゥルースに危害が及びそうになると身を挺して守る。
足を捻ったのか、激痛のため立ち上がれずに、熊がいる方向を睨むと茂みの中から唸り声をあげて熊が立ち上がった。
モルテンが咄嗟にトゥルースとの間に割り込み、再び攻撃を受ける。
受けながら、トゥルースの体をくわえて不器用に走りだした。
飛ばないのは、羽根の片方がひどく傷ついているせいだ。


島に到着すると同時に、彼は森へ入った。
ドラゴンがいた痕跡だけでも、と周囲を見渡した矢先、あっさりと見つかったモルテンにトゥルースは声をかけようとした。
しかしその横にいる熊に気が付き、熊に襲われようとしているモルテンを守ろうと先制として放った技が、
ちょうど羽根を広げたモルテンに当たったのだ。
そのせいなのか、それとも久しぶりに会ったので忘れられているのか、先ほどからいくら命令をしてもモルテンは全く聞く耳を持たない。
モルテンの体力が限界に達し、勢いよく倒れこむ。
投げ出されたトゥルースは頭を打ち、意識を朦朧とさせた。
その時、頭上から赤いドラゴンが降って来て、追って来たものの少し離れたところからこちらを見ている熊の前に立った。
赤いドラゴンにまたがった少年の後ろ姿も見える。
何か話す声が聞こえ、気付くと少年-ビュウが目の前にいた。



「すみません…」

足に添え木を縛り付けていたビュウがそれに返事をすると同時、白い光が辺りを包み、すぐに消えた。
一瞬遅れて、モルテンの回復魔法だと気付く。

「大丈夫か?」

ビュウの手を借りて立ち上がる。
ひどく痛んでいた足はすっかり楽になっていた。

「ええ、大丈夫です…」
「間に合ってよかったよ」
「ありがとうございます。助かりました」

ビュウの肩越しに見えたモルテンの傷も、少しだけ癒えたように見えた。

「モルテンがいたのか」
「ええ。驚かさないようにそっと近づいて行ったら熊がいて」
「モルテンが熊から守ってくれたんだ」
「…でも命令は全然聞いてくれませんでした」
「それは、トゥルース、熊が妊娠していたからだよ」
「妊娠?」
「そう。だからすごく警戒してたんだよ。モルテンも攻撃しなかっただろ?」
「そう…ですか…私はてっきり…」
「トゥルース良かったなぁ、たまたま隊長が来て」
「ええ」

火を囲んで、彼らは座っていた。
あえて木の枝が伸びて空を覆っているところで火を起こしたのは、外から煙や灯りを見られないようにするためだ。
その火の上では巨大な魚が太めの木の棒に刺されて炙られている。
火加減を鼻歌まじりに確かめているビッケバッケが、火の周囲で焼かれていた30センチ弱の魚串を手にとって、仲間へ順番に差し出した。

「ここのお魚大きいんだ。人あまりこないところなのかな?」
「まぁ確かに森と湖しかない小さい島だからな」
「そもそも自由に空を飛び回れる人も普通はいないことを忘れてませんか、2人とも」
「あ、そっか。忘れてた!」
「ボク達にはドラゴンがいるもんね」
「他の島に観光行くときってどうなってるんだ?」
「船かなんか出てるんじゃないの?モグモグ」
「マハールとキャンベルへは定期便がありました。確かダフィラからも交易船が来てましたよ」
「へ~。いつか行きたいな!」
「ね!」

炎の向こうでそう話すラッシュとビッケバッケに、トゥルースはひっそりと苦笑を漏らした。
交易船どころか、交易する国さえ無いのに何故そんなことが言えるのだろう-
唐突に、ただ一人で戦っているような錯覚がして、トゥルースは手に持った魚を睨み付けた。

「あれ、アニキは?」
「ビュウならそこに座って…ねぇ!まぁ便所とかだろ」
「…違いますよ。この時間はドラゴンに餌をあげているはずです」
「でもサラマンダーそこでお魚食べてるよ。モルテンもアイスも」
「だから便所だって」
「…私少し風にあたって来ます」
「おう」
「いってらっしゃい!」

人の手が入らないまま木々が茂った森は、たった数歩先がよく見えない。
直線での視界がないに等しいため、方向感覚が掴みにくく、迷いやすい。
だからラッシュやビッケバッケはキャンプを張っている場所からは動かないだろうと予想し、トゥルースはビュウがいそうなところにあたりをつけた。
(たぶん湖…)
同じような景色の先にちらりと星明かりに輝く湖面が見えた。
すぐに木々で見えなくなり、また見えたときには座っているビュウの後ろ姿が見え、また見えなくなり、次見えたときにはビュウと目が合った。

「どうしたんだ、トゥルース」
「先程のお礼をちゃんとしていないと思って…ありがとうございました」
「あはは。トゥルースは真面目だなぁ」

少年のように笑うビュウを見ながら-それはここ最近ようやく見るようになった彼の素顔な気がしてならないのだが-、
トゥルースはビュウが自分と同い年であることを思い出す。
ラッシュとも同い年で、ビッケバッケはふたつ歳上だが性格ゆえに歳上とは思えない。
ビュウは-また違う意味で同い年とは思えない。
背伸びをしているわけでもない。
最近は年相応の表情もする。

(つまり、よくわからないということ…)

「トゥルース、今日は何を考えているんだい?」

ビュウの人差し指が、ぐりぐりとトゥルースの眉間をこねた。

「いえ、そんな特には」
「まぁ無理には聞かないさ」
「…」
「ん?」
「2人…が」
「ふたり?」
「今は私達の国はないのにわかってるんだろうかって…あ、さっき他の国へ行く手段の話をして交易船の話になったんです」
「うん」
「いつか乗りたいとか…言ってて…」
「うん」
「私達の国はもうないのに…!それなのに!」

ぼたぼたと大きな水滴が地面へ落ちた。

「あんな…っ、き、気楽な…っ」
「うん」
「……わっ、私、はっ」
「トゥルース」

突然身体に熱が伝わって来て、いつの間にか閉じていた眼を開けると、金色の髪が頬に触れる距離にあった。

「ずっと我慢してたんだな」

耳元でそんな声がして、さらに強く抱き締められた。

「絶対、復興させよう。いや復興しよう」
「…隊…長?」
「もどかしい気持ちはわかるよ。でもさ、悲しみ方は人それぞれなんだよ」
「…」
「ラッシュは…ラッシュはさ、軽いし考える前に行動だし疲れることもあるけど…でもカーナを復興させたいってちゃんと思ってるよ。
 オレなんかより付き合いの長いトゥルースはわかってるだろうけどさ」
「…」
「まだ信じたくないんじゃないかな。俺だって城門横で昼寝をしていたのが昨日のように思うことがあるよ」
「…?」
「あとビッケバッケはね、すごく考えてる。たぶん、自分達でカーナを復興して、交易船に乗りたいって思って言ったことだと思う」
「…そう、でしょうか」
「ビッケバッケはああ見えて凄く生真面目だよ」

そして身体を離しながら、ぼそりと

「オレも甘えてる」

と呟くビュウの顔を見ようと凝視するが、フイと森を振り返ってしまう。

「隊長…?」
「なんでもない」
「?」
「いや、本当になんでもないんだ」
「…そう…ですか」
「じゃあキャンプに戻ろう。明日は早く出たいんだ」
「わかりました」

先に戻ると言ってトゥルースの横を通り抜けたビュウの背中を見る。
国がなくなって縛られるものが減ってから、ビュウは笑顔を見せるようになった。
本当ならこんなときこそ気分が沈むというのに。
時に笑顔を見せるビュウの、それは素顔なのだろうか。
ふと、疑問が頭をよぎった。
作戦を練っているときは、彼の本心が見えている気がする。
だからこそ、彼に応えようと自分も知恵を絞ってきた。
しかし彼の本心を知ることができたことがない。
自分は隊長としてのビュウしか知らないのではないか-。
心臓がまたちくりと痛み、気付くとビュウの腕を取って引き寄せていた。
その時に振り返ったビュウの表情が-恐らく初めて一線を超えて見えた本心は-明らかな怯えだった。
しかしそれはすぐに消えた。

「びっくりしたよ。どうした?」

いつもに戻って、ビュウがトゥルースに問い掛ける。
トゥルースは慌てて手を離し、何を言えばいいのか瞬巡した後、

「隊長こそ、何かあったら言ってください!私は隊長のことが」

そこから先の言葉をトゥルースは飲み込んだ。
自分の言葉に驚いている間もなく、もう一度今度は唾と飲み込んで、

「隊長…のことが…心配です」

と続けた。

「…ん」

泣くと、思った。
そんな声だった。
すぐに顔を背けてそのままキャンプへ戻る背は、たった数歩森へと踏み込んだだけで見えなくなった。
足音が止まり、木々の向こうから声が届く。

「トゥルース。心配してくれてありがとう」

その声は今まで聞いたどの声よりもはっきりと感情を滲ませていた。
足音が遠ざかり、すぐに聞こえなくなった。
湖に向き直って、トゥルースは先程までビュウが座っていたところに腰を下ろす。
月に照らされた湖は少し眩しい程の光を讃え、水面はたまに跳ねる魚に揺らされていた。
それはいつか見た光景に似ていて、思考を巡らせたトゥルースはふとビュウの言葉を思い出した。

「城門…の前…」

カーナの城からはその周りを囲む堀のような川が見えた。
城門の隅に座ってボーッと眺めていたことが昨日のことに感じる。そしてここに座っていたビュウが何を考えていたのか、わかった気がした。
恐らくビュウも悲しんでいたのだ。
だから自分を慰める時に抱き締めたのだ。

「悲しみ方は…人それぞれ、か」

トゥルースは少ししてから腰をあげた。
明日は早い。
それならば早く寝ていつも寝坊するラッシュを起こさなければいけない。

「よし!」

気合いを入れて森へ戻る。
とたんに木の根に足を取られて慌てて枝に手を掛けた。
握った枝の太さがちょうど先程取ったビュウの腕と一緒で、同時に怯えた顔を思い出す。

「…何故?」

木々の陰からほのかに見える焚き火の光を前に、トゥルースはしばらく立ちすくんでいた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side View》
『お前、もうドラゴンの世話してるんだって?』

昔から城に住んでいた。
自分の親の顔は知らない。
あまり興味がなかった。
物心着く頃には王女の友達役になっていたし、その前からドラゴンと遊び回っていた。
何より慕っていた戦竜隊の隊長が激務の合間に会いに来てくれた。
だからそう問われたとき、どういう意図かわからなかった。

『俺たちなんか訓練ばかりで全然ドラゴンに触れさせてもらえないのに』

そう口を尖らせる兵士(顔は覚えていない)に対して、しどろもどろになりながらも、
ドラゴンは警戒心を持った人間には警戒心を抱くからといったことを説明した。
確か12歳かそこら-ベロスがダフィラへ宣戦布告を行った年-だったから、歳上の兵士にはびくびくしていたし、
そんなに人と話すことも多くなかったので(女性にはよく声をかけられて心配されたりした)、うまく伝えられたかはわからない。
ただ兵士は納得したような顔をして、

『でも怖いもんは怖いんだよな。そうだ!ドラゴンの扱いが得意なビュウ君に扱い方を教えてもらえたら、俺もドラゴンに触れるようになるよな』

とそんなようなことを言った。
まだすばしっこいだけの非力な子どもは、自分が誰かの役に立てることが嬉しくて兵士の後を付いていった。
案内された下級兵士の宿舎は、昼間なのにカーテンを閉めきっていて、入ると扉に鍵をかけられた。
そこには既に2人の兵士が、鎧を脱ぎ捨てて煙草を吸っていた。
ドラゴンは煙草を嫌うので、まずそれをやめたほうがいいとやはりしどろもどろに伝えると、兵士は鼻で笑いながら近付いてきた。
気持ちの悪い笑みだった。
その後は-よく覚えていない。
どうやって自分の部屋へ戻ったかも覚えていないし、数日間食欲が失せて隊長-もはや親代わり-に心配をかけた。
ただ、口外したら、宿舎へビュウを訪ねてくる少女を同じ目にあわせると言われたことだけは覚えている。
数日後、ドラゴンが気になって気だるい身体で部屋を出ると、突然抱えあげられ見覚えのある部屋へ連れていかれた。
前回の恐怖と混じって半狂乱だったが、男は『好きだ』とか『この間はすまなかった』とか『優しくするから』などと言いつつ、
結局のところ前回と同じ目に合わされた。
その行為の途中で兵士が1人忘れ物を取りに戻って来た。
そいつは『抜け駆けしやがって』と言いながらビュウに馬乗りになっていた男を突き飛ばして覆いかぶさってきた。

『コイツ、女よりも、イイもんな。お前もっ、癖、になったんだろ?』

いきり立った一物を烈しく出し入れさせながら、男は突き飛ばした兵士を見た。
突き飛ばされた-先程までビュウに好きだと何度も囁いていた-兵士は、頬を痙攣させながら笑みを作り、こくこくと頷いた。
その時から、何かがどうでもよくなった。
毎日のように呼び出され弄ばれる身体。
少し経つと知らない顔も混じって、それは馴染みの顔になって行った。
ある日2本を同時に入れられそうになって抵抗すると、耳元で『王女様』と囁かれた。
全身から力が抜けたが、結局入らなかった。
そんな生活が1ヶ月ほど続いたある日、隊長からクロスナイトとしての剣捌きを教えられ、あっという間に敵がいなくなるほどの上達を見せた。
ドラゴンとの外出も認められ、サラマンダーと共に散歩に出ることもあった。
さらに1年ほど経ったとある日、城門の横に小汚い、けれども目をギラギラさせた少年達がいることに気付いた。
自分と同じくらいの年頃だった。
門番に彼等のことを聞くと、最近よく溜まっている浮浪児で、今は未だ数件の強請りたかりが訴えられているだけだが、
その内非道なことをするようになるのではと、門番は危惧していた。
その日の内にビュウは隊長へその少年達を戦竜隊へ入れてもいいかと尋ねた。
反対されるとばかり思っていたビュウに、隊長は嬉しげな顔で『いいよ』と事も無げに言った。

『お前が何か頼むなんて、珍しいしな』

とも付け加え、ビュウは久しぶりに笑顔を浮かべた。
翌日、早速少年達に声をかけ、翌々日に返事をもらった時のビュウは、また笑顔だった。
初めて出来た同じ年頃の男友達に、ビュウは熱心に剣術を教えた。
でっかいことがしたい-入隊の動機がただそれだけだった少年達も、同い年の少年の強さに惹かれて、メキメキと力を付けた。
ビュウが幸せを感じたのはこの頃だった。
しかし昼間に癒された心は、夜になると無残な物になる。
幼い頃は女の子と間違われ、その面影は初めて襲われた日にもまだ残っていたそのか弱げな雰囲気は、もうどこにもない。
背も延び、細いなりにも男が主張し始めたにも関わらず、男たちは夜になるとビュウを犯し続けた。
幼い頃に拡げられたにも関わらず、日々のトレーニングによってついた筋肉のせいか、ビュウの菊門は未だに緩むことがない。
柔らかいが緩まない。
それがまた怒りを誘ったり、男が離れられない理由になった。
二度目の2本チャレンジでは、身体が大きくなったことが災いしたのか、裂けながらも遂げられてしまった。
それからしばらく熱が出た。
傷からくる熱であることはわかっていたが、傷のことは言えず、原因不明の熱と判断された。
そのため、部屋から出ないよう指示が出され、また、隊長以外は近付かないように命令がくだされた。
ビュウにとってはこの上ないことだったが、傷の治療が出来ないままでは熱は下がらない。
溜息を吐きながらも、ビュウは久しぶりの解放された夜に満足していた。

そのまま数日が経過し、明日からは訓練に復帰しようと思っていた矢先に悲劇は起こった。
隊長が死んだのである。
次の隊長(正確には隊長代理だが)は、あの日ビュウを犯していた男を突き飛ばして覆いかぶさり、
その後もビュウを犯すことに最も執着していた男で、ラッシュたちがゴリラと呼んでいた男だった。

『お前、療養中とかいって前の隊長とやりまくってたんだろ?』

昼間は見せない下卑びた笑いを向けながら、男は権力を利用してビュウを自室へ呼び出しては執拗に犯した。

『いつまでも可愛がってやるからな』

そう言った。

そんなある日、ベロス-改めグランベロスがカーナへ宣戦布告を送り付けた。
隊長代理は戦争の最中、決戦が迫る恐怖に耐え切れず自ら命を断った。
ビュウはその遺体を発見し、マテライトやセンダックとともに密かに葬った。
男が死ぬと、ビュウを犯すものは誰一人としていなくなった。
何日経っても誰からも呼び出しはない。
解放感に浸ったのもつかの間、今度は隊長に任命され戦争の指揮をとることになる。
正式な辞令の前に、密かに打診が来たのは、それでも辞令の3日前だったはずだ。
ビュウはまずサラマンダーとともに、遠くから敵国の戦い振りを見た。
皇帝となったばかりの男は、前線で鬼神のような戦いを繰り広げていて、ビュウは数日後に迫ったグランベロスとの決戦に絶望を感じた。
前任者が最初で最後に行った指令は、屈強の兵士たちを最も育っていたドラゴン達に乗せ、先手を打つことだった。
自分以外の指折りの兵士たちがドラゴンに跨り空へと向かったその姿を見て、これしかないだろうと、ビュウ自身も思っていた。
結果-弱きものを嘲笑うかのような声が耳に残る。
残った経験の浅い兵士と若いドラゴン達、王の親衛隊でマテライト率いる重装騎士団達、そして王をも虐殺した皇帝は、
男達から解放されたビュウの身体に快楽を教えた。
初めて与えられた快楽は、未だに消えていない。






ぶるりと震えた身体を思わず抱き締めた。
焚き火の明かりを見つけてホッと一息つく。
そっと近付くと、鼾をかいて寝ているラッシュの向こうにビッケバッケの姿があった。
前屈みなところを見ると、備品の繕いものをしているようだ。

「ビッケバッケ」

顔を上げたビッケバッケの目に、ビュウはどのように映ったのか。
彼はサッと顔色を変えて、ビュウへと大股に近寄ると身体を抱え上げてテントに連れ込んだ。
寝袋に押しこめられながらビュウは苦笑する。

「顔色悪いよ、アニキ」
「ちょっと疲れた・・・かな」
「…」
「もう20か…」

戦争が終わってからもう2年近くが経つ。
反乱軍も増えたらしい。
みんな来るべき日に備えている。
やるべきことはやっている。
それなのに、気持ちだけがついていかない。

「1年が早く感じるな」
「昔、マテライトが年寄りは時間経つのが早く感じるって言ってたよ」
「ははっ、確かにマテライトはもう年寄りに入るな。年齢だけならだけど」
「ふふっ。それじゃあ、ボク焚き火見てるね」
「あぁ。頼むよ」
「明日は早いんだよね?」
「そのつもり」
「わかった。おやすみなさい」
「おやすみ」

テントの幕が下ろされた。
焚き火の明かりが布ごしに仄かに見える。
ぼそぼそと話し声が聞こえて、すぐに聞こえなくなった。
明かりもだいぶ小さくなる。
ゆっくりと沈み込むような、緩やかな眠りに落ちるのは久しぶりのことだった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side Knights》
寝静まったテントを見てから、ビッケバッケは焼いた魚を大きな葉で丁寧に包んだ。
向かいに座ったトゥルースは、炭と数本の木が投入されただけの小さな火を眺めている。
ラッシュは先程と同じところでやはり鼾をかいて寝ている。

「よし、出来た!」
「ビッケバッケ」
「なあに?」
「さっき…隊長のテントから出て来たけど」
「うん。明日の予定を聞いたよ」
「そ…ですか」
「うん」
「…」

重い空気がトゥルースの周囲に漂っていた。
ビッケバッケは上目遣いにそれを見てから、葉で包んだ魚を鞄に詰めている。
トゥルースの拳がギュッと握られたのを見て、ビッケバッケは躊躇いながらも口を開いた。

「ねぇトゥルース。人にはさ」
「?」

訝しげな表情で、トゥルースが顔を上げた。
ビッケバッケは照れ臭そうに頬を掻きながら、

「人には、その人が乗り越えたいって思うことがいくつかあってさ。周囲が手を貸したくても、借りられない事情があったりすることもあってさ」
「…それは、隊長の?」
「見守る辛抱も、優しさだってボクは思うよ」
「…何か、知ってる?」
「ううん、全然。でもなんか悩んでるなってことは、わかるよ」
「・・・」
「トゥルースが寝ないならボク先に寝るけど」
「どうぞ…」
「…ボクもね」
「?」
「ボクも、出来ることなら助けたい。でもまだ望まれてないから……ボクも、たまにすごくつらい。…おやすみ」
「おやすみなさい」

ビッケバッケがビュウのいるテントへ入る。
背中を見送っていたトゥルースは、内心驚きを隠せないでいた。
-ビッケバッケはよく見ている-
そう言っていたビュウを思い出す。

「よく見ているのは、貴方ですよ…」

胸の奥が熱かった。
いつもの癖で、それが何故か考えようとして彼は慌てて蓋をした。
けれど一度認識してしまった感情は蓋の隙間から溢れてくる。

「……いえ、まさかそのようなことは…」
「うぅん、ヨヨ様ぁ…」

ラッシュの寝言に突然思考を打ち切られたトゥルースは、その隙に完全に蓋をした。
本音を隠すのは慣れている。
けれど-戦竜隊になってからは初めてだ。
ラッシュの幸せそうな寝顔を眺める。
思わず苦笑した。
数時間後には起こして見張りを交代しよう。
そう心に決めて、バッグから秘蔵の戦略本を取り出した。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side Rush》
「そういやテードに連絡しなくていいのか!?」

雲に飛び込んだラッシュが、アイスドラゴンのたてがみを握りながら前方に叫んだ。
少し間を空けて、

「大丈夫!」

という声が飛んできた。
雲の中は気温が低く、湿った肌からあっという間に熱を奪って行く。
テードを発ってからどのくらいの時が流れたのだろうか。
ラッシュは2ヶ月間は数えていたが、今はもう数えていない。
したがって、暑かった季節が雪の季節になって、確かこれが3回目の夏だということしかわからない。
モルテンとアイスドラゴンは見つかったものの、前線へと旅立ったドラゴン達の消息が全くつかめない。
帝国軍の動きもない、変わったのは季節と、魚釣りに慣れたこと。
アイスドラゴンのたてがみを見つめて、ラッシュはため息を吐いた。
ぶるりと震えた矢先に雲を抜ける。
白い風景が一転して色をつける度に、美しいと、ラッシュは思った。
深い青の空に浮かぶ小さな島々。
人が住まない小さな島を見つけてはビュウに報告するのだが、何故か彼はその島を遠くから見ただけで、ドラゴンがいるかいないかを言い当ててしまう。
正確には、いるもしくはいた形跡があるところと、全く気配がないところがわかるらしいのだ。
今までいくつもの島に降りてドラゴンの痕跡探しをしたけれど、全て彼の直感通りだった。
なので最近は、彼の直感が反応しない島には寄らないことにした。
つまり、最近は寝泊まりする場所を探す以外に何もやることがない。
ひどく退屈だと、ラッシュは思った。

足元に広がる雲と島々を眺めたビュウが、トゥルースへ向けて指示を出した。
欠伸をしながらその様子を見ていたラッシュは、トゥルースからの伝言を待つ。

「ラッシュ、探索がありますよ」
「マジで!よっしゃあ!!」

ラッシュはだらけていた体に気合いを入れて、ついでとばかりにアイスドラゴンの首筋をぺしぺしと叩く。

「でも今日はこれからテントを張って食料の準備です」
「え~!」
「仕方ありません。ほら、行きますよ」
「ちぇ。出鼻挫かれるってこういうことを言うんだよ。なぁ、アイスドラゴン」

3匹と4人が上陸したのは、森が広がるものの常に雲がかかっているような島だった。
からりとした暑さだが、時折どこかで驟雨の叩きつけるような音と雷鳴が響く。

「激しい天候の島だねぇ。食べ物あるかなぁ」

くんくんと鼻をならしてビッケバッケが森を覗き込んだ。
木に巻き付く蔦系の植物が多い。

「アニキ、ちょっと見てきていい?見たことない植物が多いから、ちょっと期待できないと思うけど…」
「わかった。干物もまだあるから無理はしないで帰って来るんだよ」
「うん」

ガサガサと森に分け入ったビッケバッケの後ろ姿を見て、サラマンダーが小さく喉をならした。
ビュウはそれに気付いて、いいよと言う。
するとサラマンダーは頭に疑問符を浮かべるトゥルースとラッシュの間をふわりと抜けてビッケバッケを追い森へと入って行った。
いつものことながら、どうしてドラゴンが言っていることがわかるのだろうとラッシュは疑問に思う。
ビュウは、言っていることがわかるわけではなくて眼の感情を読み取っているだけだと言っていたが、正直違いがわからない。

「ここじゃあ風が直撃してしまうね。森の中に張るしかないかな」

そう言ったビュウに頷きを返したラッシュは、サラマンダーの背中から下ろしたテントを持ってビュウを追う。
トゥルースはさらにその後ろをついてくる。
モルテンはアイスドラゴンの分の荷物も背負い、トゥルースの後をついてくる。
水の気配に敏感なアイスドラゴンは既に水の調達に行っていて、今はいない。

「なぁビュウ。たまには町に行って肉とか酒とか買おうぜ」

空いた腹をおさえながらラッシュが言うと、間を置かずにトゥルースから否定的な答えが返ってきた。
2人のいつものやりとりに微笑を浮かべたビュウが、考えておくよとだけ言う。
3人と1匹はテントを張りやすい空間を選び、手早く支度をした。
そこへアイスドラゴンが水の入った大きなバケツをくわえて戻って来る。
アイスドラゴンはビュウにバケツを渡して低く唸った。

「え?そうなの?すぐ?」

1人と1匹は空を仰ぐ。
1匹はまた唸った。

「ラッシュ、確かこの間買った大きなシートがあるだろう、雨避け用の」
「あ、それなら私の荷物に」
「すぐに広げてテントの上に…いや、やっぱりテントを移動しよう」
「これからですか?」
「うん。早く」

説明する間も惜しんで、ビュウがテントの固定具を地面から抜いた。
トゥルースもラッシュもそれに倣う。
アイスドラゴンとモルテンの背に乗って木の上に出ると、遠くの空に真っ黒な雲が見えた。

「なんだあれ」
「もしかして雷雲ですか?」
「たぶんそうだ。テントは畳もう。どこか飛ばされないところを探さないと…」
「アニキー!」

その時聞こえたビッケバッケの声はかなり遠くからで、ラッシュが見渡して探し当てたのは豆粒のようなサラマンダーの後ろ姿だった。
それがさらに遠くなっていく。

「みんなドラゴンに捕まれ!」

言うや否や、2匹のドラゴンはトップスピードで空を駆け抜けた。
まだ戦をしていた頃、カーナ城へ向かうとき以来のスピードに、ラッシュとトゥルースは必死でしがみついている。
風圧に閉じていた目をうっすらと開けて見た先の少年は、風の中でも毅然と前を向いてドラゴンへ行く先を指示していた。
ほんの数秒後、ドラゴンは地面に降り立った。
ラッシュがアイスドラゴンの背から滑り降りながら辺りを見渡すと、そこには数軒のコテージがあって、
ビッケバッケは目の前のコテージの扉へ体当たりをしていた。

「早く早く!」

ラッシュがビュウから渡された荷物を抱え込んだとき、つんざくような轟音が鳴り響いた。

「うっわ!?」

反射的に身を捻りながら屈み込んだラッシュの腕を、ビュウが引っ張りあげる。

「ビッケバッケに続いて!」

雷が鳴り響き始めた。

いつの間にか巨大な雲が頭上にさしかかって、辺りを暗闇が包んでいた。
手当たり次第荷物を抱えてコテージへ飛び込んだ時、真っ白な光が窓から室内を照らした。

「間に合ったぁ…」

そう言いながら溜息をついたのはビッケバッケだった。
ドアの近くに立つラッシュの背中を押して入って来たのはトゥルースで、その後からビュウが水の入ったバケツと大きなリュックを背負って現れる。
トゥルースがドアを閉めた途端に鼓膜を震わせる雷と雨が地面を叩きつける音が轟いた。

「うひゃあ、すごい雷だな」
「窓に近づかないでくださいね。雷が飛んできますから」
「んじゃ、部屋の真ん中に集まってよう」

鎧を外し、壁から壁へ渡したロープに、濡れた服を絞ってかける。
荷物を探って、濡れたものがないか確認する。
幸いなことにまだ洗っていない服が軽く濡れた程度だった。

「ドラゴンは外でいいの?」
「うん、不思議とドラゴンには落ちないんだ。怖がる子はいるけどね」
「へえ、そうなんだ」
「むしろ雷食べてたりしてな!」
「またラッシュは変なことを…。どうやって食べるっていうんですかあんなものを」

冗談なのか本気なのかわからないラッシュの発言にトゥルースがいつものように冷静な答えを返す。
クスリと笑ったビュウがふと窓を見た。
そして、呆気にとられたビュウの顔を見たナイトたちが視線の先の窓の外を見て、やはり呆然とした。
雷雨の中をジグザグに、かなりのスピードで、つまり興奮している様子で、何かが飛び回っていた。

「遠目…なので確かではありませんが、見覚えが…あります。気性が荒く、なかなか懐かない、けれど餌をくれる人間は覚えているという単純な頭の…」
「あれ、サンダーホーク…だよね?」
「こんな中よく飛べますね」
「そういえばサンダーホークって雷好きだったね」
「うん。…生きてて良かった」

安堵と労りが滲み出たビュウの一言に、ラッシュの脳裏にふと疑問が沸き上がる。

(あれ…?ビュウは人間よりドラゴンの方が大事なのか?)



サンダーホークはあの日、ビュウ達と別れて先発隊とともに空の部隊を討ちに行った。
城へは、ドラゴン以前に人さえ誰も帰って来なかった。

「小雨になったしちょっとドラゴンの様子を見てくる」
「俺も行くぜ」
「え?」

ラッシュの表情を読み取り、説得は無理だと早々に諦めたのか、

「じゃあお願いするよ。トゥルース、荷物の確認をしておいてくれるかな。ビッケバッケは薪を…暖炉の薪を頼む」
「はい」
「うん。気をつけてね」
「ああ」
「んじゃな!」

ラッシュが扉を振り返ると、ビュウの姿は既になかった。
慌てて外へ出ると、昔はよく聞いた指笛が聞こえた。

「懐かしいな、それ」

ビュウは半分振り返り、微笑した。
また指笛を吹く。

「まだ近くにいるのか?」

ビュウは指をくわえて空を見た姿勢のまま首を振る。
体の向きを変えて、また指笛を吹いた。
口笛の数倍…数十倍は大きな音が空へと吸い込まれていく。
何度か向きを変えて、ビュウは指笛を吹いた。
ラッシュは、耳をつんざくような指笛の音量に耳を塞ぎながら、キョロキョロと辺りを見渡した。
しばらくして、ビュウが一点を凝視し始める。
ラッシュも視線の先を見る。
そこにはこちらへものすごい勢いで飛んでくる何か-ひとつしか思い当たらない-がいた。

「ラッシュ、離れてて」
「おう」

何も考えずにビュウと距離を取る。
アッと思った時には、ものすごい勢いで飛んできた何かがビュウに直撃していた。
未だに続く雨のおかげで土埃は舞い上がらなかったが、

「久しぶりだねサンダーホーク!ははっ、くすぐったいよ!」

ぬかるんだ地面に押し倒された上に巨体に馬乗りされて顔をなめ回されている-ビュウは色々と悲惨な状態に見えた。
思えば初めてドラゴンを見たときもこんなシーンで、ビュウが襲われたと思い、恐怖でその場に凍り付いていた…気がする。

「変わんねぇなぁ…」
「そうだね、でも健康そうで何よりだよ」

サンダーホークのことじゃねえよ!と言ったラッシュの声は、また始まった雷鳴で途切れ途切れにしかビュウの耳には入らなかった。

「サンダーホーク、また俺達と戦ってくれるかい?」

勇ましい返事が聞こえる。
ビュウは嬉しげにサンダーホークの頭を撫でながら、泥から腰を上げた。

「雷が止んだら何か餌を持ってくるよ。だから遠くに行かないようにな」

またサンダーホークが鳴いた。



ビュウと共にコテージへ戻ることにしたが、泥まみれのビュウはそのままでは入れないと言う。
せめて雨で泥を流してからと言い張るところに、声がかかった。

「風邪なんて引いたら大変です。中で脱いでください」

振り返ると、トゥルースが扉の前にいた。
ビュウが渋る間もなく、さっさと中へ入ってしまう。
仕方なさそうにビュウはラッシュとともにコテージへ入った。
直ぐにトゥルースがてきぱきと指示を出す。

「そこで脱いで、横のバケツに服を入れてください。奥にシャワールームがありました。お湯は出ませんが、体をすすぐくらいは出来ます。

こちらに温めたタオルを用意しておくので、浴びたら直ぐにそれで身体を温めてください」

「…トゥルースのかーちゃんモード、久しぶりに見たな」

横にいたビッケバッケに、ラッシュがひっそりと囁いた。

「うん。機嫌悪そうだよね」
「そうか?いつもあんな感じじゃないか?」
「そんなことないよう」

手に持った魚の燻製をかじりながらビッケバッケが返事をする。
そうかなあと返しながら、ラッシュはもたもたと服を脱ぐビュウを見る。

「滑るのか?俺やろうか?」

さっとビュウの顔色が変わって、しかし直ぐに最近見せる少し困ったような笑みで、

「大丈夫だ」

と答えた。
泥塗れの指が裾を捲り上げ、一息に上着を脱いだ。
とたんに、周囲が-正確にはトゥルースとラッシュの2人が-息を呑んだ。
所々に泥が付いた体の、あちこちに傷がある。
剣で斬られたような傷、親指くらいの太さの物で刺されたような傷、火傷の跡と思われる傷-これはラッシュにもあるので特によくわかる-などが、
だいぶ薄くなってはいるがあちこちに付いている。

「おいおい、いつの間にそんな怪我したんだよビュウ」
「小さい頃から訓練はしてたから…」
「今まで一緒に着替えなかったのはそれが理由か!なんだよみずくせぇな。そんなん見ても俺は引かねぇのによ」
「怪我するってことは未熟な証拠だから恥ずかしかったんだよ。せめてラッシュ達の前では先輩らしくかっこつけたかったんだ。ってことにしておいてくれ」
「ぷっ、なんだそりゃ。ま、傷なら俺も負けてねえぞ!」
「…ラッシュも乾かすんですから脱いでください」
「お、おう」

濡れて貼りつく服をもぎ取りながら、ラッシュは横目でビュウを見た。
ズボンも脱いだビュウの脚にもやはり大量の傷が見えた。
その多さから訓練の厳しさを想像し、ラッシュは首をすくめた。
そのラッシュの正面にいたトゥルースは、既に-恐らくビュウがズボンを脱ぐ前から-いなかった。
お湯をわかしに行ったのだろうか、キッチンであろう部屋からガチャガチャと音がする。

「着替え着替え~っと」

ラッシュはリュックを覗き込み、適当に服を引っ張り出す。
服を手に持ち振り向くと、ビュウは浴室へ行ったと見え、ビッケバッケが1人で2人分の服を洗おうとしているところだった。

「ビュウの傷すごかったなぁ」
「そうだね」
「俺も洗うの手伝うよ」
「ラッシュがやるときれいにならないもん。トゥルースの手伝いしてきなよ」
「ちぇ。どうせ不器用だよ。おーいトゥルースなんか手伝うことないかー?」

ありませんと返事が来て、ラッシュは結局暖炉の前で火に当たることにした。



金持ちのコテージなのだろう。
豪華なソファはふかふかとしていた。
暖炉の火の上には吊された鍋がある。
既に何かがグツグツと煮えていた。

「なぁこれ、沸騰してるけど」
「あっ、今行くね」

洗濯をする手を止めて、ビッケバッケが長い棒を持って暖炉の前にやってくる。
棒の先の鉤になった部分を器用に鍋の取っ手に引っ掛け、鍋とともにキッチンへ入っていく。
トゥルースと何か話す声がした。
少ししてからビッケバッケが湯気のたったタオルを持って現れる。
ラッシュは礼を言って受け取った。

「あちあちうわっち!!」
「熱いよって言ったのに」

笑いながらビッケバッケがもうひとつのタオルをバスルームへ運ぶ。
そちらでも熱いから気をつけてと言う声がした。
ビュウの返事の後にぱたぱたとビッケバッケが走って来る。

「えーっとアニキの着替え…」

そしてまたバスルームへ戻って行く。
入れ替わりにトゥルースが戻ってきた。
ラッシュは暇を持て余しつつも、不機嫌そうな幼なじみには声をかけずにビュウが戻るのを待っていた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side Bikkebakke》
「なぁ、ビュウの父ちゃんってどんな奴だったんだ?」

夜になった。
雨は勢いを増すばかりで、そろそろ体にかびが生える気がして体がむずむずする。
そんなことを考えていたら、久しぶりのシチューに喜んでいたラッシュがそんなことを口にした。

「親の顔は知らないんだ。あれ?言ったことなかったっけ」
「普通の話なんてほとんどしてないんじゃないか?オレたちが入った時は戦争中だったし…1日も早く戦力になれってしごかれてたもんな」

正面に座るラッシュに同意を求められて、ボクは頷いた。

「そうだね」
「そうか…。前の隊長が城に赤ん坊のオレを連れてきたらしい」
「あの弱いくせに威張ってた奴か?」
「いや、ラッシュ達も一度会ったことあるくらいの。代理じゃなくてさ、前の隊長」
「私たちが入ってすぐに亡くなった?」
「じゃあその人が親代わりなのか?」
「親というなら…センダックはあの頃から爺さんだったし、そうかもな。マテライトもよく来てた」
「オッサンばっかだ」
「言われてみるとそうだな」
「オレはでっかいことしたくて家を飛び出たんだ。ビュウに会う数ヵ月前かな?」
「3人は子どもの頃からの付き合いだったよな。もしかしてみんな一緒に家出したのか?」
「ううん。ボクはもっと前から家を追い出されて…モグモグ…あちこちで悪いことしてたよ」
「私は家族と暮らしてました。でも両親とも…死にました。それから家出したラッシュがうちに転がり込んで来たので一緒に暮らし始めて…」
「ボク久しぶりにトゥルースの所に遊びに行ったら、トゥルースのお父さん達は亡くなってるしラッシュがいるしでびっくりしたよ」
「でも家賃なんて払えないからさー、すぐ追い出されてしばらくふらふらしてたんだよな」
「そうですね」
「空腹も限界でね、もうあれ以上万引きとか、そういうのするの嫌になって。
 お城にある食べ物を分けてもらえないかなってお城に行ったけど
 勿論門前払いでね。あの頃のボクが一番痩せてたよ」
「腹いせがてら城門横に入り浸ってたんだ」
「そこへ隊長が来た、と」

話を聞いていたアニキが、なるほどと相づちを打つ。
そしてラッシュの顔を見て、

「そういえばラッシュの体も傷が多かったな」

と呟いた。
心なしか強張っているように見えた。

「あぁ、うち母ちゃんが再婚した男が乱暴でさ。よく殴られたんだ」
「半分以上は自業自得でしたよ。喧嘩して人様の家の壁壊したとか。大体あれはおばさんの再婚に反対という反抗からの」
「そんなんじゃねえし壁壊した時は相手が殴って来たんだよ!」
「他にも真面目に働かないでさぼってるとか、ボーッと歩いてて店先の売物落として傷つけたとか」
「な、なんだよあるだろそのくらい!」
「ありませんよ」
「自分が悪いことしたから叱られてるのに、手を出すからいけないんだよ」
「だってあいつら二言目には目付きが悪いだの貧民街の産まれだの言うんだぜ!」
「はは。いろんなとこから恨まれてそうだね、ラッシュは」
「隊長は」
「ん?」
「隊長にも何かあるのでしょう?思い出とか」
「ん…ドラゴンのことか訓練の思い出くらいかな」
「ずっと城で暮らしてたのか?あの男ばっかりの兵舎で」
「すごく小さい時はさすがに違うと思うよ。でも気付いたらドラゴンの横にいて…あれ?でも3歳くらいのときドラゴンの横で寝て怒られたような」
「ベッドよりドラゴンと野宿かよ!」
「アニキらしいね!」

ボクの声にかぶって、雷が轟いた。
同時に部屋が真っ白な光に包まれる。
目を閉じたけれど、光と音はしばらく続いた。
音がしなくなっておそるおそる目を開けると、ラッシュはもう食事を再開していた。

「今のはまたずいぶんと近かったですね」
「地面揺れたな」
「雨が降っているから火事にはならないと思います」
「うん」
「そういえば明日は?」
「あぁ、まだ話してなかったな。サンダーホークも見つかったことだし、テードに戻ろうと思う。
 ただ今の帝国の様子を少し見て行きたいから…どうしようかなって」
「わかりました。では相談しましょう」

アニキとトゥルースはこれからの算段を始めた。
ボクはラッシュと一緒にシチューを食べながら話をする。
ラッシュに、何故今日はこんなご馳走が出せるのかって今更ながら質問された。

「ここにあった食料をもらったんだ」
「えっ、てことはつまり盗品かよこれ」
「もうここの持ち主だってここに来れないもん。腐っちゃうよりはボク達が食べるほうが勿体なくないよ」
「それもそうか」
「ね。明日の朝も久しぶりにお肉が食べられそうだよ。テードに戻るときもご飯の心配しなくてすみそう」
「そりゃいいな!何があるんだろ。オレもなんかもらって行こうかなぁ」
「缶詰ばっかだけど、確かラッシュの好きな」

ダンッ-
テーブルが揺れて、ボクたちは驚いて音の方-ラッシュの隣のトゥルース-を見た。

「認められません!」

トゥルースは頬を紅潮させて拳を握っていた。

「でもドラゴンは連れていけないし4人でコソコソ行動するのは無理だって…」
「それならもう1人連れていくべきです!1人で行くなんて無謀もいいところです!」
「でも偵察だけだし」
「何かあったらどうするんですか!あなたは隊長なんですよ!!」

いつもは怒ってもここまで激しくなることはないのに、トゥルースは久しぶりに感情を爆発させているみたいだった。

「何かあったときは逆に身軽なビュウ1人の方が逃げやすいんじゃねーの?」
「…!」

ラッシュが、多分トゥルースの顔がまともに見えないからだと思うけど、さらっとそう言った。
途端に立ち上がってすごい怖い顔をしたトゥルースに睨まれて、ラッシュは今更だけど首を振った。

「いいいやなんとなくそうじゃないかって思っただけだから!!」

トゥルースは怖い顔のままテーブルを見つめた。
さっき叩いた拍子にスプーンが飛び跳ねたので、シチューが少し飛び散っている。
握った拳をさらにギュッと握りしめたのが見えた。

「…頭を、冷やしてきます」

そのままトゥルースは雨が降る外へ出て行った。
ボクは横のアニキをちらっと見る。
アニキもテーブルを見つめていた。

「な、なぁ…」
「ごめんラッシュ、ビッケバッケ。…オレ、トゥルース呼んでくる」
「いや、でも少しは時間おいたほうがいいんじゃねえの?」
「長引くとこじれる気がするからさ」
「あ…そ…」
「アニキ、外に行くなら気をつけて。雨と雷もだけど、もう暗いから」
「うん」

アニキは立ち上がって外へ出て行った。
ラッシュはスプーンを持って一口食べたけど、

「なんか不味くなったな」

と言ってからは手を付けなかった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side Knights》
「トゥルース、トゥルース何処だ?」

返事がない。
心配そうにこちらを見ていたモルテンと目を合わせると、モルテンは横を向いた。

「あっちか。ありがとう」

ひと撫でしてから暗い木立へと足を踏み入れる。
トゥルースはすぐに見つかった。

「無事か?」
「…」
「横、いいかな」

返事がないので、ビュウは躊躇いながらもすぐ横に座った。
その辺りだけは土が乾いていた。
ビュウは上を見た。
そんなに高くないが枝葉の多い木の下だった。

「武器も持てないからさ、トゥルースの言うとおり…もう一人連れていくよ」
「…」
「ごめんな」
「なんで…謝るんですか。話し合いに怒りを持ち込んだのは私です」
「えっと…いつも心配かけているという自覚は…あったからさ…」
「…」
「…」
「私」
「え?」
「私が怒ったのは私情からです」
「?」
「隊長の身が危ないとかそれも勿論ありますが」

ビュウはトゥルースを見た。
トゥルースはビュウを見ていて、ビュウはその真面目な顔に驚いて思わず目を逸らせた。

(迫力が…兵士っぽくないから兜をかぶったんだっけ?優男顔とか言ってたような)

確かに面立ちは女性…というよりは優しげだ。
そんな顔が真剣にビュウを見ている。

「私が反対したら隊長がすぐにそう言うのは…もう一人連れていくと言うのはわかってました」
「あはは…」
「だから誰を連れていくと言うのかもわかってました」
「?」
「嫉妬…したんです。ビッケバッケに」
「…嫉妬?」
「私じゃ役に立てませんか?」
「まさか、そんなことはない」
「私達がまだまだ未熟なのは自覚しています!でも」
「違うよ、トゥルース」
「何が違うのですか。私は…」
「もっと簡単に考えてくれ。オレとトゥルース、ラッシュとビッケバッケで別れたらどうなるか」
「…主に食料と金銭面が大変なことに」
「オレとラッシュだと、ラッシュを止めるのに精一杯で…何も出来ないだろ?」
「目に見えていますね」
「だからだよ」
「…だからですか」
「他意はないんだ」
「…」
「オレじゃ出来ない、皆をまとめる役をしてくれてるのはトゥルースだよ」
「…」
「あはは」
「?」
「いや、まさかトゥルースが嫉妬してるなんて言うとは…ね」
「仕方ありません。ビッケバッケが…色々と隊長のことを知ってる気がして」

ビュウの肩がゆれた。
何か言ってた?との問いに、何も言ってはいませんでしたと、トゥルースが答える。

「そうか…」

ビュウの周囲の空気が若干張り詰めた。
トゥルースは気付かない。

「私…いつか隊長のお役に立てる日が来るのでしょうか」
「何言ってるんだ。今でさえかなり-」

突然ビュウの体が揺らいで、トゥルースにもたれかかった。
慌てて抱きとめたトゥルースにも、唐突に目眩が襲い掛かる。
おかしいと思いながら、トゥルースはビュウを抱え上げようとして膝を付いた。
強まる雨に、木の内側からは外がほとんど見えない。

「助けを…」

隊長だけでも、と願うトゥルースの意識がぷつりと途切れた。



ビュウとともに倒れこんだその先から、ぺたぺたと何かが近付いてくる足音がした。
倒れている2人を見つけると、ばしゃばしゃと泥を飛ばしながら駆け寄ってくる。

「いたよ、サラマンダー」

そういいながら軽々と2人を肩に抱き上げて、自分の後ろから付いてきていた赤いドラゴンの背に乗せた。
最後にビッケバッケを乗せて、ドラゴンは地を蹴った。
低空でほんの一瞬と思える飛行の後、サラマンダーはコテージの前に着いた。
ビッケバッケは再び2人を担ぎ、コテージの扉を慎重に開ける。
振り返って、

「ありがとう」

と伝えてから、中へ入って扉を閉めた。
コテージでは既に1人、寝袋の中で呻いていた。
とりあえず2人をおろし、それぞれの口の中に緑色のドロリしたものを流し入れた。
顔色を見て、蒼白な方-ビュウの服を脱がして体を拭き、新しい服を着せてから寝袋へ寝かせる。
トゥルースも同じように寝かせてから、自身は余っていたほんの少しの緑色の液体を飲み干した。



翌日の昼近くになって、まずラッシュが目を覚ました。
「調子はどう?」
そう聞いたのはやはりビッケバッケだった。

「あれ…?」
「倒れたんだよ」
「あ…あぁ、そういや昨日シチューが突然不味くなってからの記憶がねえや。…みっともねぇとこ見せちまったな。トゥルースなんて呆れてるだろ?」
「ううん」
「そうか?とりあえずビュウにもう大丈夫だって言ってくる」
「まだ無理だと思うなぁ」
「大丈夫だって。ドラゴンに乗ってるだけだしさ」
「ラッシュじゃなくて」
「ん?」

ビッケバッケはラッシュの後ろを指差す。
何気なく振り向いたラッシュの目に、ふたつの寝袋が飛び込んできた。

「…えっ、2人もかよ!」
「うん。ラッシュはすぐに薬飲ませられたけど、2人は少し遅れたし薬を半分こして飲ませたから…まだ動けないよ」
「なんでだ?てかビッケバッケはよく無事だったな」
「ボク昔から体は人一倍丈夫だったから」
「言われてみりゃそうだな…」
「熱が上がってからとかじゃなくて、普通だったのが唐突に倒れたから、もしかしたら伝染病かなと思って万能薬を使っちゃったんだ」
「えっ、あんな高いのをかよ」
「うん。眠くなる薬も入れたから、しばらくは寝てると思う」
「そ…っか。じゃしばらく暇だなぁ」
「うん。でもラッシュももう少し寝ててよ。ぶり返してももう普通の薬しかないから、もし伝染病とかだと治せないよ」
「わ、わかった」

とりあえず洗顔だけ済ませたラッシュが、再び寝袋へ戻る。
ビッケバッケにお腹空いてる?と聞かれるが、言われてみると食欲はなかった。

「今日雨が降らないみたいだから、ボク外に干してくるね。何かあったら窓からサラマンダーが見てるから、サラマンダーに言ってね」

すぐ上の窓を見ると、赤いドラゴンの緑色の瞳があった。
バタンと扉が閉まる。

「暇だなぁ…」

ラッシュはぽつりと呟いたが、すぐに眠気に襲われた。






昨日の悪天候が夢だったような快晴が広がっていた。
ビッケバッケは最後の一枚を干し終えて、

「よし」

と頷いた。
昨日室内に干したものの生乾きから進まず、異臭を放ち出したので全て洗い直したのだ。
アイスドラゴンが大きなバケツを持って戻ってきた。
水を汲んできたのだ。
水が好きなドラゴンだけあって今までおかしな水を運んできたことは一度もない。

「ありがとう。これでしばらく飲み水に困らないね」

大きなバケツを受け取って、コテージの中へ運び込む。
3人の寝顔を見て、ビッケバッケはまた外へ出る。
一度伸びをして、階段に座った。
うとうとしたところでモルテンに顔を撫でられる。

「ん…?」

モルテンはビッケバッケに背を向ける。
乗れと言われているような気がして、ビッケバッケは誘われるままにモルテンの背中に倒れこんだ。

「ふわぁ…ふかふか…」

すぐにビッケバッケは眠りについた。
昨日一睡もせずに看病していた疲れが、顔に浮き出ていた。

陽が落ち始めて、ビッケバッケはサラマンダーに揺すり起こされた。

「わ、もう夕方?洗濯物入れなきゃ」

バタバタとビッケバッケが働き始める。
両手一杯に乾いた服を抱え、一度コテージに戻るかそれとも持てるだろうかと悩む横から手がのび、ビッケバッケが抱えていた洗濯物を取り上げた。

「あっ」
「持ってくよ」
「だ、ダメだよアニキまだ寝てなきゃ!」
「お腹空いてさ…これ持ってったら、何か食べたいな」
「う、うん!」
「先行くよ」

ビュウが両手で洗濯物を抱えて歩きだす。
ビッケバッケは残りの洗濯物を手早く掻き集めて後を追った。

「アニキ、気分は?」
「空腹で気持ち悪いくらいかな…」
「そこおいといて!すぐお粥作るね!」

キッチンへ走るビッケバッケの後ろ姿を見送って、ビュウは今取り込んだ衣服を畳み始めた。
2枚畳んだ所で、

「腹減ったぁ…」

とラッシュが起きてくる。
キッチンへ食物を漁りに行ったもののビッケバッケに止められる声がした。
その声で起きたトゥルースは、腹を押さえる。

「おはよう、トゥルース」
「あ…隊長。おはようございます。…なんかよく寝たような」
「オレも。昨日ワインでも飲んだっけ…」
「いやまさか…。あれ…よく寝たと思ったのにまだ陽が昇ってない…」
「あれは夕焼けだよ、トゥルース」
「え?あぁ…え…ええっ!?」

跳ね起きたトゥルースがビュウの横で頭を床に押しつける。

「今日の予定…申し訳ありません!!」
「いや、オレも今さっき起きたんだ。…昨日なんかあったっけ」
「昨日…」
「昼過ぎくらいから…サンダーホークを見つけた後辺りから記憶が曖昧なんだよね」
「昨日…そうですね。サンダーホークが…外にいて?」
「さっき外行ったらちゃんといたから、多分呼んだんだとは…思うんだけど」
「私はシチューを作っていた記憶はあるのですが…食べましたか?」
「…さぁ」
「2人とも何言ってんだよ。昨日喧嘩してたじゃないか」

鍋を両手で運んできたラッシュが言った。
その後ろを小鉢を持ったビッケバッケがついてくる。

「え?」
「私と隊長がですか?」
「そう。偵察がどうのこうの。ここに置いていいのか?」
「うん。とりあえずご飯にしようよ」

ビッケバッケが鍋から小鉢に粥をよそう。
トゥルースがそれを受け取って皆へ回す。

「昨日トゥルースすげぇ怖い顔してたぞ」
「私が?」
「うん」
「アニキも覚えてないの?」
「ぼんやりかな」
「で、どうするんだ偵察」
「ああ、そうだな。とりあえずカーナ旗艦の位置だけは掴んでおきたいな」
「カーナの近くにいるかなぁ」
「占領されたって聞いたし…いないかもな」
「とりあえずカーナの傍を探って見る?」
「それは危険だろう」
「そうか?空だけなら平気じゃないか」
「何処に配備されたかわかればな」
「食料の配分とかしてないのか?」
「ああ…それだ」

ガサガサとトゥルースが荷物をあさり、地図を出してくる。
テーブルに広げるスペースもないので、傍の椅子の上に置いた。

「もう戦争はしていませんから、グランベロスに大量の食料を運んでいるはずです。
 各国を治めている幹部等にも配分しているはずですが、
 旗艦にいる兵士だけなら少量の輸送のはずです」
「ふむふむ」
「だから一番荷物の少ない飛行艇をつければ…」
「なるほどな」
「問題はどうやって偵察するかですね。ドラゴンで近付けませんから」
「忍び込むしかないか」
「下っぱの兵士の装備を持ってきて潜り込むとか」
「それだな」
「1人はドラゴンで待機、3人で見て回ろう。輸送の準備をしているところなら将軍クラスはまずいないはずだ」
「ボクが待ってるよ」
「わかった」
「恐らくここが食料を分配しているところです。ドラゴンはここに置いて-」
「兵士の装備は-」
「非常事態のときは-」

トゥルースとビュウが次々に段取りを決めていく。
ラッシュは再び眠気襲われたのか、粥を詰め込んで早々に寝袋へ戻ってしまった。

「何はともあれ、まだしばらくはここを動かないほうがいいな。体調を万全にしてから行こう」
「そうですね…っと、すみません私もまた眠く…」
「ああ…」
「片付けておくから2人とも寝ててよ。ボクは大丈夫!」

2人は礼を言ってから歯を磨いたり着替えたりと支度を整えてから寝袋へ入った。
すぐに寝入ったトゥルースの隣で、ビュウがただひとり起きているビッケバッケに

「ビッケバッケも寝てくれ。今日はきっと大丈夫だ」

と言った。
ビッケバッケも頷いた。
それを見たビュウはすぐに眠りに落ちる。
残されたひとりは洗い物を終わらせてからランプの明かりを絞り、3人の顔色を見てから寝袋へ潜り込む。
寝静まった部屋を緑色の瞳が窓の外からじっと見ていた。

それから1度だけ熱が上がったものの悪化することはなく、それでも大事な時だからと
大事に大事を重ねた彼等がその島を離れたのは、10日後の事だった。





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