序章-5





                  《Side View》
「それじゃあボクたちはここで!」

サラマンダーの背から降りたビッケバッケが手を振った。
身を屈めた4匹のドラゴンにも見送られて、3人は森を西へと歩いていく。
後ろ姿が遠くなってから、ビッケバッケはビュウから預かった餌袋を開き-途端に周囲のドラゴンに囲まれてもみくちゃになった。
その様子を遠くから見たビュウが苦笑した。

「ラッシュ、作戦は覚えましたか?」
「覚えたって」
「まぁ私と一緒に行動するのですから平気でしょうけど」
「1人で大丈夫だって言ってんのによ」
「隊長の命令ですよ」
「わかってるよ。それにしてもレギオンの兜は息苦しいな」
「我慢してください」
「静かに。森を抜けるよ」

3人は森を背に張られた大きなテントの裏に出た。
そのテントの向こうにもいくつか質素なものが張られているが、森に面した奇襲に遭いやすい場所に
大きく立派なテントが設置されていることに疑問を感じたトゥルースとビュウは顔を見合わせる。
ビュウは首を振り、トゥルースは頷いた。
トゥルースはラッシュとともに堂々と-少し小走りに、煙が上がっている方面へ向かった。
火を焚いているところには兵士がいるからである。
こそこそとする予定はない。
紛れ込む予定なのだ。
ビュウは踵を返した。
反対方面へ向かおうとし、大きなテントの垂れ幕が上げられているのに気付く。
先程は気付かなかった-いや、上がっていなかった。
背後に空気の流れを感じて、再び体を反転させてから頭を深く下げる。
頭上から声が降って来た。

「ここへは入らぬよう命令したはずだが」
「申し訳ありません…!その、腹を壊して慌てて…」
「いい。顔を上げてくれ」
「…?」

思っていたより穏やかな声だった。
ちらりと相手の足を見て間合いを計ってから、恐る恐ると言った風に顔を上げる。
精悍な顔をした男がいた。
腰に太く厚い剣を下げている。
歳は30を越えたくらいだろうか。

「君は、何者だ?」
「こ、今回初めて外に出た一般兵です」

冷ややかな空気が身体中にまとわり付く。
ビュウは身震いをした。

「…まぁ、いい。よく俺の気配がわかったな」
「え?」
「見込みがあるな。君、少し相手をしたまえ」
「そんなオレなんかが」
「早く来なさい」
「…」

仕方なく背中を向けた男の後ろをついていく。
男は防具はなにひとつ装着していなかった。

「あの、何処へ」
「日課に付き合ってくれれば不問にしよう」
「日課…」

男はテントの横の、少し開けた場所-とはいえ周囲はテントに囲まれているので相変わらず人目には付かない-に着くと、
剣を鞘ごと腰から抜いてビュウに向き合った。

「日課だ。5本勝負で良いか?」
「お、オレには無理です」
「ふむ。剣を持っていないのか。俺としたことが、すまなかったな。そこで待っていろ」

そういいながらすぐ横の小振りなテントへ入る。
逃げるべきか思案する間もなく、テントの入り口から何かが唸る音とともに飛んできた。
突然のことに、避けてからビュウは心中で舌打ちする。

「いい動きだ」

テントから男が出てくる。
男の手には先程の剣ではなく、木刀が握られていた。
ビュウは自分の足元を見る。
そこにも数本の木刀が突き刺さっていた。

「好きなものを選べ」

太い重そうな木刀と、細身のもの、長いものとがある。
ビュウは仕方なく、黒く塗られた細身の木刀を引き抜いた。

「聞いておくが…本気を出そうとしないわけは何故だ」

男は木刀を眺めながら-傷やひび割れの具合を確認しているように見えるが恐らく癖であろう-そう言った。
まだ手合わせさえしない内に、ビュウが本気を出さないことを見抜いたらしい。
ビュウは戸惑った。
その戸惑いを勝手に解釈したのか、男は頷いた。

「まぁ、この隊ではな。アイツのもとでは力や頭のある者は潰される」
「…」
「だから…か?」

真っ直ぐな目が飛び込んできて、ビュウは思わず目を逸らした。
何故グランベロスの人間にこれほどにまで意志の強い者が多いのかと、青い髪の男を思い出す。
思い出して-目の前の男がその傍に立っていたことまでを思い出し、血の気が引いた。

「将…軍」
「なんだ」

呟いてしまった言葉に返事をされて、ビュウの身体は緊張に包まれる。

「本気を出せばこの隊から俺の隊に移してやろう」
「…?」
「そうすれば力をセーブする必要もない」
「…」
「出さなければ怪しい動きをしたことを問おう。いや-この場で処分してもよい」
「…!」
「どうする?」

瞬巡の後、ビュウは右手に持った木刀で未だ突き刺さっていた長い木刀を打った。
折れた先がくるくるとまわりながら空へ舞い上がり、落ちてビュウの左手に収まる。
木刀は共に同じ長さになっていた。
男はそれを見て、嬉しそうに木刀を構えた。



「…ッハ、ハァ、ハッ」

尻餅を付いた所に木刀が胸元から上へ振られ、間一髪で避けたものの兜が宙を舞った。

(顔を見られ…!)

兜を弾き飛ばされた痛みも忘れ、慌てて顔を伏せたビュウの喉元に再び切っ先が突き付けられた。
上を向かされ、男と正面から対峙する。
男は目を細めていた。
息が上がっている自分とは違い、ほんの少し乱れただけの男は嬉しそうに見える。
すぐに殺さないと言うことは、気付いていないのだろうか。
それとも、あの時顔を見られていないのだろうか。
ビュウの心臓が高鳴る。
不安と期待が交互に襲いかかり、逃げ出したい衝動を抑えた。
その不安げな表情と期待に満ちた目に見上げられた男は、一瞬言葉を探してから

「君は」

と口を開く。
そのまままた言葉を選び、

「…若いな」

と言った。

「その顔でこの腕前では、目立ちたくないのも頷ける」

男は溜息を吐いた。
木刀を己の横に突き刺して、

「これで俺が5本取ったな。それより体力が問題だ」
「つい…先日まで…ハッ、寝て…っ」

虚勢を張ったのではない。
正直に言わなければ礼を欠くと、何故か思ったのだ。
体を起こそうとして、失敗してまた尻餅を付いた。

「病み上がりか。それはすまないことをしたな」

男の手が伸ばされた。
右腕でその手を取ろうとして、ひょいと、男がビュウを抱え上げた。
もがくが意に介さない男はそのまま大きなテントに入る。
大きなテントの内側は、テーブル、椅子、ベッド、その程度しかない。
椅子におろされる。
男は汗に濡れたシャツを脱ぎ捨て、新しいシャツを羽織った。

「アイツと同じ建物にいたくなかったのでな、テントに暮らしている。後数日で戻る予定だ。シャワーはないがゆっくりするといい」
「あ、ありがとうございます」

体を固くするビュウの前に男は座った。

「ワインは好きか?」
「ワイン…」
「新米兵士が飲んだことなどあるわけがないな。…鎧を脱げ。構わん」

ワインの栓を抜き、2つのグラスに注ぐ。
背も向ければ、警戒する様子もない。
一介の兵士にこれほどの信頼を置く上官を、ビュウは不思議に思う。

「なんだ?」
「いえ、あの…自分はこれでもう」
「俺の隊に来るのだろう?遠慮をするな」
「…はい」

どうしよう。
内心焦りだす。
逃げることも出来ず、かといって戦って勝つことも出来ない。
後は誤魔化すしかないのだが、そんなに器用なことは出来たこともない。

「飲まないのか?」
「その、飲んだことが…ないので」
「俺の故郷では熱が出た時に温めたワインを飲ませる。こどもでも少しな。…顔色が悪い。少し休んでから行くといい」
「…」

ビュウは仕方なくグラスを手に取った。
ちびりと嘗めて、苦いと呟く。
男は自分のグラスをあけると頬杖をついて、ちびちびと嘗めるビュウを見た。
少しの沈黙の後、男が口を開く。

「君、名前は」
「…」
「ふ。言わないか。俺はアーバイン。今は補給の見回りをしているが、明日には戻る予定だ」
「戻る…?」
「ああ。ベロスに」
「あの、先程のお話しですが、オレはここで…いいです」
「…そうか」

意外にもあっさりと引き下がった男-アーバインから、ビュウは困惑を感じ取った。
目が合う。
やはり男は苦笑した。

「君、年齢は」
「二十歳に…なりました」
「本当か?まだ16くらいかと思っていた」
「本当です」
「そうか」
「…あの」
「行くか」
「は、はい。ご馳走様でした」
「何番の隊だ?」
「えっ」
「送ろう」
「いえ、大丈夫ですから」

腰を上げ、歩きだそうとしてビュウはよろめいた。
派手に倒れた所に、男が駆け寄る。

「酒が合わなかったかな」

男の手を借りて立ち上がったものの、地面を踏んでいる気がしない。
ビュウはまたよろめいた。
その体をまた抱き上げた男は、ビュウをベッドに座らせると手早く鎧を取り去り、布団の中へ入るよう指示を出す。
ビュウの霞み掛かった脳裏には、命令口調の男の声がいつか聞いた声となって響いた。

「君?どうした」
『今日はやけに素直じゃないか』

ぼんやりと目の前の男を見上げる。
いつか殺そうと思っていた男の顔が、そこにあった。
その顔がグニャリと歪んで、別の誰かを思い出した-気がした。



「君!」

ハッとして意識を戻す。
目の前に男の胸があり、抱き締めていた腕を勢い良く解いた。
相手を見上げる。
焦ったような、けれどやはり精悍な顔がそこにはあった。

「もっ、もうし」
「すまなかった」
「!?」
「酒に弱いのだな。よく眠れるかと思い飲ませたのだが、君には逆効果だったようだ。すまなかった」
「…え」

男の手がビュウの頬を撫でた。

「今日はここで寝ているといい。俺は外で寝よう」
「まっ、待ってください」
「大丈夫だ。他の奴らに君のことは言わない」
「オレもう行きます。お願いです、行かせてください」
「駄目だ」

男は即答した。

「君は隊を抜け出して来たのだろう?恐らく、上官か何かの横暴に耐えかねて」

ビュウが顔を上げた。

「自分の所属を言いたくないということは、そうだとしか思えない。所属を言え。俺がそいつの首を刎ねてやろう」
「…!」
「憎い相手を庇うのか?」
「違います」

ビュウは首を振った。
自分が酷く不甲斐なく感じて、涙が出そうだった。
将軍クラスの男に見つかったばかりか抜け出せもせず、酒にまでからかわれ、醜態を晒している自分に腹が立つ。
正体が露見する前に命をかけて逃げ出すしかない。
情報収集は2人に任せて、ドラゴン達の元へ戻ろう。
そう思いながら見上げた男の顔に優しい笑みが浮かんでいて、ビュウはまた躊躇った。

「相手を庇うのか。お前は優しいな」
「…そうじゃ、なくて」
「それとも痴話喧嘩か?それなら俺の出る幕はない」
「…」

躊躇うビュウの横で、男はひとり合点した。

「さぁ、寝るがいい。俺も…ワインをもう一杯やったら出ていこう」

男がビュウの傍から離れた。
ゆったりとした動作で椅子に座り直すその向こうの垂れ幕が揺れた気がして、ビュウは咄嗟に毛布を被った。

「アーバイン。相変わらず精が出ているようだな」

直後、今までとは別の男の声がした。

「お…っと。すまない、邪魔をしたか」
「ああ、パルパレオス将軍。邪魔…?ああいや、彼とは先ほど手合わせをしていたのだが具合が悪くてね、寝せているんだ。-どうしました?」
「これからの予定を打ち合せに来た。グドルフの部屋でだが…」
「わかりました」
「そのままでいい。共にいこう。…ところで、先にここに来なかったか?」
「見かけていませんが」
「また遊んでいるのか。…すまないが、後で探してくれないか」
「ええ、構いません」
「では行こうか」
「はい。-そういうわけで少年、俺はいくが、大丈夫か」

ビュウは毛布から頭も出さずにこくりと頷いた。

「そいつはアーバイン将軍の相手を出来るほどの腕なのか?」
「まだ発展途上ですね。出来れば俺の手元に置いて練習相手にしたい。化けるはずだ。-そういえば、君と同じで剣を2本使うぞ」
「…何?」
「そうだ。グドルフの所に行くのならついでに貰い受けると話してこよう。君、名前は」

アーバインがビュウの前に立つ。
その後ろに立っているであろう男の視線が毛布越しにビュウに突き刺さる。

「…どうした?ぶり返したか?」

アーバインが屈んで毛布越しにビュウの肩に手を置いた。
パルパレオス将軍と呼ばれた男の声を-聞いたことがある。
意図した訳でもなく、ビュウは小さく震え始めた。

「おい、君-」
「パルパレオス、アーバイン」
「…!」

ビュウの耳にまたしても覚えのある声が飛び込んだ。
その声の主は続けざま、

「悪いなアーバイン。そいつは私がグドルフの元へ偵察に送っていた犬だ」
「サウザー様」
「おい、そんな話し聞いていないぞ」
「当たり前だ。だからそれは私が預かる。2人ともグドルフによろしく言っておいてくれ」
「お越しにならないのですか?」
「ああ。そいつから聞くからいい」
「わかりました。その兵士、体調が悪いそうなのでよろしければこのテントをお使いください」
「うむ」
「サウザー、そいつは」
「なんだパルパレオス、早く行け」
「…」

2人の足音が遠ざかる。
一息つきそうになって、すぐ隣から聞こえた笑い声にビュウは毛布を跳ね飛ばすと入り口へ向かって脱兎の如く逃げ出した。
が。

「そう逃げるな。ククッ…生きていたか」
「…離せ」
「ほう。今日は殺せではないのだな」
「…」

取られた腕に力を込めるがびくともしない。
引きずられて、ベッドに放り投げられる。
すぐに上から覆いかぶさる男の体を押し返すが、分厚い体も揺るぎはしない。

「逃がしてやろうと言うのだ。礼くらいもらってもいいだろう」
「…退け!」
「なんだ?新しい男でも見つけたか?」

私のモノでイッたろう、とビュウの耳元で男が囁いた。
頬が紅潮したのがわかる。
同時に下腹部に違和感を感じて、ビュウは反射的に背をまるめた。

「お前も期待しているではないか」
「違う!」
「一体何人にこの体を抱かせたのだ?もう後ろだけで達するようになったか?」
「違う!離せ!」
「何が違うのだ。ここを膨らませて言う台詞ではないな」

男の膝がビュウの股間を潰すように乱暴にすり上げた。
ビュウは痛みと、それとは別の急激に迫りくる快感-それはあの日男から与えられて以来の-に唇を噛んだ。

「…」

膝の下から伝わる痙攣に、男は目を瞠る。
顔を背ける以外に抵抗という抵抗もしなくなったビュウの服を剥ぎ取り、下着がべっとりと汚れているのを確認してからじっとビュウの顔を覗き込む。

「自分でしたことはないのか?」
「なに…を」
「ここを自分で触ったことは無いのかと聞いている」

手袋越しに、男はビュウの一物を握りこんだ。
それはまだ微妙に硬さを残しているものの弛緩している。

「さわ、触る…なっ」
「無いのか」
「あるわけっ、や…めろっ」
「お前の男は触ってくれないのか」
「うっ、…!」

唐突に、男が握っていたモノを口に含んだ。
手から与えられた快感だけでも精一杯だったビュウに、驚く程の快楽が流れ込む。

「嫌だ、いっ」

整えられた男の髪を両手で掴み、引き離そうと全力で押し上げる。
押さえ込まれた下半身は膝から下の動く範囲で男の背を蹴った。

「イッ、いっ…!」

ビュウがきつく目を閉じ唇を噛み締める。
男は片手を伸ばして自分の髪を止めていた紐を解くと、口からビュウを引き抜き根元と睾丸を両手で結び締め上げた。

「うっ…」
「いきたいか。私を満足させてみろ」
「うぅ、うっ」

男はビュウから離れると、汚れた手袋を取り傍らのテーブルに投げた。
マントを椅子の背もたれに投げ掛け、ブーツを蹴り飛ばすように脱ぎ捨てる。
痛みに身体を縮めるビュウを見て、男はシャツとズボンさえも脱ぎ、再びビュウに覆いかぶさる。

「聞こえているか」

薄目を開けて男を見たビュウに満足したのか、男は大きく開かせた足の間に自らのものを押しあてた。
そこは男の予想通り熱く濡れていて、蠢いていた。

「こっちは随分と使い込まれているな」

ビュウの意志とは関係なく飲み込んでいく秘部に、男は抵抗もせずゆっくりと沈めて行く。

「いっ」
「お前の男たちは玩具としか扱ってくれなかったのか?ん?」
「うっ、いぅっ」

漏れる声を抑えようと、ビュウはまた唇を噛む。
男はシーツを握るビュウの手に自分の手を重ね、ビュウの耳元で囁いた。

「自分で触るなら解いてもいい」

ビュウは男を見た。
男は意地の悪そうな笑みでビュウを見ている。

「ここを自分で弄るのなら、紐を解くと言っているのだ」

男の手のひらがまたビュウを掴んだ。
きつ過ぎるのか、既に赤黒くなっている。
ただ首を振るだけの相手に、男は少し考えて、後少しで埋まる自身を一度引き抜くと、戒める紐を解いた。
ビュウの膝裏を掴み大きく広げる。
男は腰を突き出し、閉じかけていた秘部に己を埋めながら収縮を繰り返し飲み込んでいくそこをじっと見る。
支えなくても先端が埋まる程の柔らかさに、軽く抽挿をするだけで濡れる淫らさに、男は満足げに笑んだ。
ゆっくりと半分程を収めたところで、ビュウの顔を見る。
まだ少年の面影を残した顔が涙を湛えた蒼い眼差しを男に向けていた。

「…」

男は誘い込まれるように近付くと、ビュウの唇に口付けを落とした。
そのまま、やはりゆっくりと己を埋め始めると、ビュウの腕がおずおずと男の背中に回る。
誰かにこうして抱き締められるのはどれくらいぶりだろうか-男は背中と唇の温もりに心地好さを覚える。
全てが収まる前に唐突に中が収縮し、押し出される動きに負けまいと男は強く腰を押し付けた。
肉と肉がぶつかる音が響いた。
唇の隙間から小さな悲鳴が漏れる。
開いた唇から男はすかさず舌を差し入れた。
逃げる舌を追いかけ触れると、ぴくりと口が閉じかけた。
中の痙攣が終わると、ビュウの両腕がぽとりとベッドに落ちた。
それでも何かに触れていたいのか、ベッドに垂れた男の青い長髪を掴む。
男が唇を離し上半身を起こそうとするが、掴まれた髪のせいで唇が数センチ離れただけだった。

「離せ」

ビュウは黙って手を開いた。
青い髪が指の間からするすると抜けていく。

「も…、…り」
「お前が早すぎるのだ」

下腹部を見る。
白く細いが薄く腹筋が浮き出た腹に液体が散らばっている。
浅黒く隆々とした腹には飛び散ったと思われる白い液体が少しだけついていた。
独特のにおいが鼻を突く。

「動くぞ」
「!」

男は腰を揺さぶり始めた。
言葉に出来ない懇願を伝えようと、ビュウが男を必死に見つめる。
ようやくのことで目が合うと、男は舌打ちをした。
引き抜き、

「後ろを向け」

と命令する男の言う通り腰を上げて這いつくばる。
男は後ろから再び激しい突きを繰り返すが、萎えたビュウの股間のモノがまた反応しだしても果てる気配は無かった。
耐えていた腕の力が抜け、腰だけ上げた状態になる。
それが嫌で、目の前にあったベッドの脇の小さなテーブルに片手をかけて体を持ち上げた時、
自分の口から艶めかしい…生々しい声が上がり、思わず口を押さえた。
男の動きが止まる。
四つんばいから少し上半身を立てた状態で静止しているビュウが、肩越しに男を見た。
男は抱えていた腰から手を離し、ビュウの手を取ると後ろへと引っ張った。
男の視界に弓なりにしなった背が映る。
汗ばんだ背中に、後ろへ引かれたせいで浮き上がった肩胛骨が羽のように広がる。
背骨をなぞり腰、そして秘部へと視線を戻す。
広がり切ったそこに、己のものが刺さっている。
鬼頭まで引き抜いてから少し挿入すると、ビュウから再び声が漏れた。

「やっと感じるところを見つけたのか」

ふるふると黄色い頭が揺れた。
男は小刻みに且つ執拗に突き上げると、何度目かの収縮の後に突然ビュウの全身から力が抜けた。
がくりと力の抜けた頭を見た男は掴んでいた手を離す。
ビュウの上半身はぱたりとベッドに落ちた。
乱れた髪の隙間から見える横顔には疲労の色が浮き出ている。
男は改めて細い腰を抱え上げると、抜けた己を埋めて乱暴に数度抜き差しし、引き抜いてから果てた。
ビュウの背中から尻の割れ目へ向けて男の精液が流れる。
尻にモノを摺り付けてから、男はビュウを仰向けに返した。
腹やシーツには大量の精液が付着しており、一部には赤いものが混じっていた。
男はベッドの隅に座り、泣きながら眠りに就いたのであろう青年の顔を見ると、小さな溜息を漏らした。

「ビュウ…だったか」

顔に張りついた髪を上げる。
後ろでひとつかみにし、縛ろうと放り投げていた紐を探しだすが、湿っている。
視界の端にぴくぴくと痙攣を起こした2本の足が見えた。
辿ると血の気の引いた顔に行き着く。
こうしてみると年相応の顔に見える。
つまり、少年ではなく青年に見える。
だが目を開くと年齢を感じさせない。
空に落ちていくような錯覚を、今日も受けた。

「よくわからないな」

呟く。
髪を纏めることを諦めて、自分の足の間や腹に飛び散った液体を毛布で無造作に拭いてからまた後ろを見る。
白かった顔が心なしか土気色になっている気がした。
男は汚れた場所を避けながら近づく。
やはり疲労のせいだけではない、大量の汗が吹き出ている。
男はベッドから飛び降りると、投げ出していたズボンを履き、コートや上着は帽子掛けに預ける。
そして質素な戸棚に置いてあるベルを持ち外へ出た。
そこで3度、思い切り腕を振った。
ベルの音が夕焼け空へ吸い込まれ、程なくしてガチャガチャと鎧を揺らしながら近づいてくる足音がした。

「お呼びだなんて珍しいですね、アーバインさ……!」

男の姿を目にした途端、兵士は硬直した。
陽に焼けた上半身に、乱れた青い長髪は兵士の上司のものではない。
戸惑いを見せた兵士をちらりと見る。
その鋭利な視線に、兵士は男の正体に気付き敬礼の姿勢を取った。

「お呼びですか、サウザー様」
「湯とシーツとタオルを数枚、その後に-医者はいるか」
「はい。アーバイン将軍付きの者がおります」
「ならば安心できよう。呼べ」

返事をして兵士は掛け去った。
アーバイン付きの部下だからであろうか。
その辺りにいる有象無象とは大分違う印象を受けた。
すぐに先程の兵士がシーツとタオルを持って現れる。
お湯は今沸かしていると伝えられ、シーツを変えるのならば私がと進み出る兵士を通そうとし-自分でやる、と兵士の腕からシーツとタオルを受け取った。
その後湯を受け取ってから男はテントへ入る。
駆け付けてきた医者に外で待つようテント越しに声を掛けてから、シーツを剥がし湯で濡らしたタオルで投げ出されている体を拭く。
反応は全く無かった。
新しいシーツの上に寝せて、毛布を被せようとし、毛布も汚したことに気付く。
散らばっている脱がした服を着せる気にはならなかったのか、自分のコートを被せると男は医者を呼んだ。
入って来たのは40代の医者と、先程から働いている兵士だった。
ベッドの横に引っ張って来た椅子に座る男の前で、医者は診るべき対象を把握して無言で診察を始める。
兵士の方はテント内に充満したにおいに一瞬顔を顰めるが、すぐに医者の手伝いを始めた。

「これは過労と…栄養失調ですね」

しばらく脈を見ていた医者がビュウの腕をそっとコートの中にしまいながら言う。

「特別な病ではないということだな」
「えぇ。少し前にここいらでは見かけない病気にかかった痕跡がありますが、まあ完治しています。
 ただかなり衰弱していますから、しばらくは寝かせてください。若いですから、すぐに回復するでしょう」
「ああ」
「白魔法を使える者がいれば早いのですが」
「ここには置いていないはずだ」
「そうですか…。無理をしなければ問題はないでしょう。少し寝かせてから、起こして栄養の…お前、わかるな」

医者が横の兵士に顔を向ける。
兵士ははいと返事をした。

「1時間程後に食事を運ばせましょう。看病は…こちらで?」
「ああ」
「かしこまりました。では、私はこれで」

医者が立つ。
兵士も連れ立ってテントから出て行った。
寝ている青年の顔を見ていた男は、しばらくしてから青年に掛けていたコートのポケットから本を取り出すと、栞が挟まれていたページを開いた。





                  《Side Rush & Truce》
「えっ、サウザー…様が来てるのか?」
「そうらしい」

夜。
焚き火を囲んで食事を取る男たちの中に、ラッシュとトゥルースの姿があった。

「いつもの視察だろ」
「陛下はたまに唐突に現れていつのまにか混じってたりするから心臓に悪いよな」
「俺なんて荷物の積み方が雑だって言われてさ、言い返したら変装した陛下で本当に金玉縮んだぜ」
「お前下手だもんな」
「うっせ」

ワイワイと時を過ごす兵士たちから一歩離れて、2人は飲み物を片手に立った。
あちこちに焚かれた火に人は集まっているが、2人のようにところどころで立ち話をしている者がいるので、特に目立ってもいない。

「ビュウ何処にいるんだろうな」
「ここは広いですからね。もっとあっちの…中央にいるのかも知れません」
「そっか。それにしてもこれからどうする?あっちゅーまに船の場所わかったし…でも約束の日は明後日だろ?戻るか?」
「…」

トゥルースが腕を組んで少し下を見る。
癖になっている、考えるときのポーズだ。

「いえ、このまま他の情報を集めましょう。幸いなことに、ここの兵士たちは戦力としてはほとんどありませんし、口も軽いようです」
「ビュウには?」
「隊長もそうすると思います」
「んじゃいっか!姫様の居場所でもわかるといいんだけどな」
「そうですね」

焼けたぞー、そんな声が近くからかかり、ラッシュは喜んで焚き火の輪に戻っていった。
すっかり溶け込んでいる幼なじみを見て、トゥルースは少し羨ましいと感じる。

「お前も来いよ!」

ラッシュに呼ばれて、トゥルースはやれやれと言った表情で焚き火に近付いた。

「そういえば今日アーバイン将軍を見ないな」
「昼過ぎにパルパレオス将軍と中央に歩いて行ったのを見たけど」
「帰ってきてないのか?」
「なんかその代わりに皇帝陛下がアーバイン将軍のテントにいるらしいぜ」
「へぇ。じゃあ明日辺りまた俺等と同じ格好して混ざってるかもな」
「いや、さっき医者が来てたから…」
「え?陛下の体調が悪いのか?」
「それなら元から来ないだろ」
「聞いた話じゃ誰か看病してるとか」
「誰に聞いたんだよ」
「アーバイン将軍付きの奴の知り合い」
「俺…さっき上等なシーツ洗濯した…」
「シーツ?」
「あんなの使ってるの、アーバイン将軍のテントくらいだろ?」
「そうだろな」
「…これは秘密だぜ。誰にも言わないでくれよ。すげえ精液とかで汚れてんのよ…血も付いてるし」
「おいおい本当かよ」
「女を連れてきたってことか」
「血って事は処女?」
「わかんねぇけど…いやこれ他の奴らに言わないでくれよ?」
「わかってるよ」
「そんな可愛い子なんていたか?」
「中央には女がたくさんいるって聞いたぜ。アイツの世話するためにって」
「アイツ?」
「グドルフだよ」
「あぁ」
「ちぇ、いいよな権力ある奴はよ」
「お前なんて権力あっても女は寄って来ねえよ」
「何だと」
「それにしてもあんなに汚してさぁ…陛下ってあっちの方もお強いんだなって思ったよ俺」

その一言が発端となり、話題はすっかり猥談に染まる。
興味津々なラッシュの隣でちびちびと勧められた酒を嘗めていたトゥルースは、そっと離れて伸びをした。
ひとしきり今後のことを考えて、手に持った串-魚の塩焼きが刺さっている-にかじりつく。
周囲を見ると、明日が休日に指定されているせいか、酒を飲んで出来上がっている者がちらほらと見える。
既に私服に着替えている者は、明日、日帰りで家族の下へ帰るからなのだろう。
孤島テードに集まった人間達にある、影のようなものは誰にもない。
戦勝国の、しかも前線に出たことが無い兵士たちはこんなものなのかと、トゥルースは目の前の光景を何処か遠いもののように眺めていた。

「おぉい、君」

自分が呼ばれている気がして振り向くと、いつの間にか寝ているラッシュを指差した男が、

「俺、明日早いからもう寝るんだけど、君たち今日うちのテントに泊まりなよ。これ担いであっち戻るの大変だろ」

と願ってもないことを申し出てくれた。
トゥルースは「有難いです」と返事をすると、その男とラッシュを抱えてテントの密集する宿営地に行く。
たった100m程なのに、力の入っていないラッシュの体を引き摺るのは、昼間に体力仕事をした後だけに、
さらに言えばラッシュが幸せそうな顔でむにゃむにゃと寝言を呟いているので、精神的にもかなりの重労働だった。

「じゃ、おやすみ」

男が早々に寝袋に入った。
トゥルースは寝袋の上にラッシュを放り投げると、まだ誰も使っていない寝袋を見つけて包まった。
こっそり溜息をついてから目を閉じる。
敵地のど真ん中だというのに、睡魔はすぐにやってきた。
明日の予定を振り返る前に、トゥルースは静かに寝息を立て始めた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


                  《Side View》
真夜中に目が覚めた。
そろそろ秋のはずなのに、今はやけに暖かい。
真っ暗な視界に右も左も見失いそうになり、手を伸ばす。
その手を突然掴まれて、ビュウの心臓は跳ね上がった。
その手に冷たい…恐らくコップが渡される。

「飲めるか」

声がした。
背中に腕が回されて、上半身が起こされる。
水を求めて手を伸ばしたわけではないけれど、喉が渇いていたのは事実なので頷いてからコップに口を付ける。
空気に触れた肌にぞわぞわと鳥肌が立った。

「寒いだろう。こい」

コップを取り上げられて、腕を引っ張られる。
先程までと同じ暖かさが背中に触れて、それが人肌だったことを知り赤面する。
横を向いて寝ているビュウの背中に、ぴったりと男の肌が触れているのだ。
それどころか、頭の下には太い腕がある。
この腕の腱が切れてしまえば、あるいは正気が見つかるのだろうかと、
太い腕の先の大きな手を見ながら考える。

「腹は減っていないか」

つむじ辺りから声が降ってきた。
夜のせいなのか、意識がまだはっきりしていないのか、その声に温度を感じる。

「さっき…食べました」
「病人用の食事では食べた気はしないだろう」
「そんなことはない」
「そうか。具合はどうだ」
「もう…もう行」
「朝にしろ」
「…」

ごそごそと、頭の下とは反対の男の腕が動く。
その場所から不穏な空気を感じ取り、身を捩ろうとしたところで尻に屹立したものが当たった。

「アンタ、何を…っ!」

逃げ出そうと体をずらす。
しかし痛いほどに掴まれた腰と広げられた尻の間に押し付けられたモノは、意に介さない。
探り当てた所へ向かいゆっくりと埋め始めた。

「動くな。入れるだけだ。…それとも動いて欲しいのか?」
「い、いた…」
「腫れているからな。薬は塗っておいたが…お陰でよく滑る」

ベッドから逃げようとする努力も虚しく、男の陰毛を尻に感じる。
尻の膨らみに邪魔をされて入らない分があるにも関わらず十分な質量で、ビュウは挿入の衝撃を消そうと目をギュッと閉じた。

「…逃げぬ方が浅かったと思うが」

逃げた上半身を追い掛けて、男が体を移動する。
動く最中に押された内壁が快感を伝え、ビュウは自身が立ち上がったのを感じた。
男はそれに気付いているのかいないのか、腰を掴んでいた手をビュウの身体を後ろから抱え込むように回し、静かに寝息を立て始めた。
後ろ半分、背中から膝まで、ぴったりと男が密着している。
腹に回された男の腕を振りほどくこともできない。
一度意識してしまった快楽を流せず、それでも自分を触れないビュウは腿が己の腹に付くほど折り曲げた。
にゅるりと男のモノが浅い所まで抜かれるが、残り少しが入ったままで、動く範囲で腰を揺すっても抜けなかった。
そのうち苦しくなって足を戻すと、男のモノが再び中へ戻ってくる。
硬いものがまた内壁を-腹側を押すような角度で-掻き分け、また射精感に襲われる。
我慢しようと足を摺るが、入り切らずに尻を広げている男のモノを意識してしまうだけだった。

「…っ」

耐え切れず、ビュウは初めて自ら腰を動かした。
足を屈めて、下ろす。
それだけで男に突かれているような刺激を得、あっという間に果てた。
解放感に浸ったのも束の間で、すぐに眠りに引き込まれる。
背後の吐息を感じながら、悔しさと羞恥心に包まれた意識を手放した。



ぼんやりと見えていた輪郭がはっきりとしてきたとき、息を呑む気配が伝わって来た。
想像していたものとは違う形に、がバリと体を起こす。
驚いたのか、一歩後退りした相手が両手を突き出した。

「いや何もしてないって!サウザー様に後のことを頼まれてさ、これ朝ご飯!」

小さなテーブルに乗ったお盆と皿を指差す。

「後これ、サウザー様からの手紙」
「…ありがとう」
「あのさ」
「…?」

興味津々の-ラッシュのような表情をした兵士が、胸の前で組んだ指をもぞもぞと動かしている。
ジッと見ていると、彼は意を決したように拳を握って言った。

「き、君はサウザー様の愛人なのか?」
「……は?」
「だってそのサウザー様は全然そばに人を寄せないって噂だし俺も正直君のこと結構整ってるなって思ったけど
 目が蒼いのはベロスにはなかなかいないしどこの出身なの!」

一息に言い切ったせいか、息切れをしている。
ビュウは呆気に取られてから、少し怒気を込めて、

「愛人じゃない…!どこから来たかは言えないけど」

首を振った。

「あ、あっごめん。本命ってこと?」
「違う」
「いやいいんだ。綺麗だもんね君の眼」
「…」
「着替えもそこに置いておくから!今日はゆっくりしてろってサウザー様は言ってました。しないだろうとも言ってたけ…っと」
「ありがとう。もう1人で大丈夫だから」
「そ、そう?あの、何かあったら呼んでね。そこのベルを鳴らしてくれれば、今日は俺が来るから」
「ああ」

バタバタと兵士が出て行く。
ビュウは苦笑してから、受け取った手紙の封を切る。
読んで、クシャリと握りつぶした。
立ち上がろうとして、今更ながら裸だったことと、尻の違和感に気付く。
先程の兵士が指差していたところを見ると、来たときに着ていたものと同じ一般兵用の服と装備が置かれていた。
違和感から眼を背けてさっさと身支度を整える。
食事を見て、パンだけ手にする。
すぐに食べきって、出入り口にかかる垂れ幕からそっと外を見た。
誰もいない。
足音を立てないように、けれど小走りにその場を後にする。
テント群を抜けると、私服の男たちが荷物を持って船に乗っていく光景が目に入る。
ちらほらと兵士姿も見える。
再び周囲を見渡して目立っていないことを確認してから、ビュウは平然と賑わう人々の中に入った。

「土産を頼むよ」
「お前仲直りしたのか?」
「ワハハハ」
「何時出発だ?」
「俺もさぁ、まだ若いし今日こそ」
「気を付けてな!」

近くで見ればわかる。
帰郷する集団が私服で、残る少数が一般兵の装備をつけているのだ。
別れの挨拶をしている男たちを横目に、見つけた焚き火に握り潰したまま持っていた紙を放り込んで、ラッシュ達の姿を探す。
10分もしないうちに、ビュウはトゥルースを見つけた。
湖から引いた用水路の縁に腰掛け、釣り糸を垂らしている。
ラッシュの姿はない。
さりげなくトゥルースの隣に立ち、周囲に人がいないことを確認する。
話し掛けようと口を開こうとしたとき、トゥルースが少し怒ったような声で遮った。

「意外と早く起きましたね。昨日は飲み過ぎですよ。まったく…」

それからもひとしきりお叱りの言葉が続く。
話しは昨日のばか騒ぎに始まり、混じったときの迂闊な返事や普段の行動にまで飛び火する。

「ラッシュ、聞いてますか!」

返事をしないことに腹を立てたのか、トゥルースがようやく傍らに立つラッシュ-ではなくビュウを見上げて、硬直した。

「た、隊長…」
「トゥルース、おは……ぷっ…!」

口を押さえて肩を震わせるビュウを見て、慌てて立ち上がり取り落としそうになった竿に手を伸ばしたトゥルースまでもバランスを崩したところをビュウが
-つまり2人は用水路に落ちた。
派手な水音に周囲に人だかりが出来る。
水の中でビュウは鎧と兜を脱いだ。
沈むトゥルースの後ろ襟を掴んで水面から顔を出す。
差し出されていた手にトゥルースを押し付けると、ホッと一息をついた。
むせているトゥルースの声が聞こえる。
とりあえず無事を確認出来たことに喜びながら伸ばされた手を掴み陸へ上がる。
礼を言って手を離そうとして、離れない。

「もう平気なのか」
「…あ」

一般兵のものではない服と腰の剣をたどった先に、見覚えのある顔がある。

「君は一緒に帰らなかったのか」
「えっと…はい」
「そうか。…君を手元に起きたかった。残念だ」

そういうと、ビュウが濡らした手を邪険に扱うでもなく、さっと踵を反して私服の男たちが乗る船へと歩いていく。
騒ぎに集まっていた兵士たちも、今は静まり返ってやり取りを見守っているようだった。

「隊……あの」
「大丈夫か?」
「今の…ゲホッ」
「とりあえず着替えよう」
「え…はい」

好奇の眼差しが2人へ向けられる。
逃げるようにビュウ達はその場から離れた。
幸い追ってくるものは居らず、トゥルースの案内で昨夜ラッシュと泊まったというテントに入る。
中には未だ寝ている兵士が1人-ラッシュがいるだけだった。

「着替えの前にシャワー行きたいですね」
「ああ」
「これからどうしますか?あの、サウザー達がいる場所は分かったんですが」
「…何処だって?」
「キャンベルです。ヨヨ王女もそこにいるらしいという情報もありました」
「-わかった」
「では…ではいよいよテードに戻って準備ですね!」
「ああ。先に連絡しておかないとな」
「そういえばどうやって連絡してるのですか?」
「ドラゴンに伝えてもらうんだ」
「はぁ…。あっと、ラッシュ、ラッシュ!起きてください!」

トゥルースがラッシュの頬を叩く。
気持ち良さそうに寝言を言っているラッシュに焦れたのか、寝袋の足を掴んで思い切り持ち上げたトゥルースの背中越しに、ゴチンと鈍い音がした。
吊されていたタオルで頭や体を拭いて、部屋の隅に置かれていた誰のものか分からない着替えを拝借する。
トゥルースも同じように着替え終えた頃に、頭を擦りながらラッシュが起き上がった。

「おはーよー…あれ、ビュウなんでいるんだ…ふわぁぁ」
「帰りますよ。早く起きてください」
「え?オレ丸一日寝てたのか?」
「違います。さっさと起きてください」
「あんまり怒鳴るなよアー頭いてぇ…」

数分後、3人は無事森の中へ入ることに成功した。
しばらく歩けば、ビッケバッケと別れたところ辺りに着く。
まったく同じところに着かなくても、鼻のいいドラゴンが向こうから見付けてくれるはずです、とラッシュに説明したトゥルースが、
改まったようにビュウに質問を投げ掛けた。

「先程のこと…説明してください」
「あぁ…。突然剣の練習相手に指名されてさ。少し、付き合ったんだ」
「ん?何のことだ?」
「それだけですか?」
「それだけと言えばそれだけかな。なんか…買い被られたみたいで、自分の隊に来ないかって」
「だから何の話だよ」
「本当ですか?」
「嘘を言う必要がないよ」

森に分け入りながら、先頭を歩いているビュウは振り返りもせずそう言った。
最後尾のトゥルースがしぶしぶと言った様子で「わかりました」と呟き、ラッシュに経緯を語る。
聞き終えたラッシュは少し興奮したように、ビュウを褒め称えた。

「敵にまで認められるなんてさすがだな!」
「そういう問題じゃ…」
「何だよ、ビュウが断れなかったんだから相当切羽詰まってたんだろ?それなのに疑われもしないで今ここにいるんだからスゲェじゃん」
「…」
「はは…。すごく強かったよ、彼は」
「ビュウよりかよ」

ピタリと足を止めて、ビュウは振り返る。
慌てて止まった2人へ向けて、

「オレなんて…足元にも及ばなかった」

そう呟いた。
すぐにまた前を向いて歩きだす。
その背中を追い掛けながら、ラッシュとトゥルースは黙々と歩を進めた。






「アニキー!」

嬉しそうに抱き付いてきたビッケバッケの背中をぽんぽんと叩いて、ビュウがサラマンダーに跨った。
低空で飛び、補給地からだいぶ離れてから高度を上げ、他の3匹が待つ孤島を目指す。
途中、ビュウがサラマンダーの首筋を撫でながら何かを言う。
風の音で掻き消され、ラッシュの耳には届かなかったが、ビュウのすぐ後ろにいるビッケバッケが、

「テードに連絡するの?」

と言ったのに対して頷いたのが見えたので、

(なんだオレには関係ない話か)

とその後の話は聞いていなかった。
後2日も飛べばテードに戻れる。
それが楽しみで、ラッシュの前に広がる空は今までよりもずっと美しく見えた。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



                  《Side Lukia》
「ついこの間まで暑い日が続いていたのに、やあね」

ルキアが窓の外を眺めながら呟いた。
うす曇の空から幾筋かの光が差し込んでいる。
彼女の故郷ではよく見られる光景だったが、ここでは夏から秋にかけてしか見られない。
その光に照らされて、こちらへ走ってくるふたつの小さな姿を見つけて、
彼女は部屋の中を振り返る。

「メロディア、プチデビルが来てるわよ」

小さなお団子を結わえていた少女が、俊敏に立ち上がって喜びながら外へ出て行き、
その様子をちょうど2階から降りて来た男が見つける。

「なんじゃ騒がしい」
「あら、マテライト。しょうがないわ。珍しくプチデビルが来たのよ」

自分たちからこっちに来ることなんてあまりないのに、と彼女が付け足すと、
いつまでたっても金色の鎧を脱がない男が窓からちらりと外を見た。

「なんじゃそんなことか」

そう言いながら、先へ出た小さな少女の後を追うように小屋を出る。
小さな影は小屋から出てきた金色の巨体にまとわりついた。

「あぁん、どうしたの~」
「マニョマニョッ!マニョ~!」
「モニョッ?モニョーモニョモニョっ」
「も~。ふたりともっ、マテライトは遊んでくれないよ~?」
「全くじゃ。遊ぶ暇などないのじゃ」
「ねっ。メロディアとあそぼ!」

出たばかりなのにすぐに小屋に戻ってきたマテライトを見て、だいぶ伸びた髪を梳かしていたルキアが首を傾げる。
マテライトは部屋の中を見渡してから、大きく息を吸った。

「皆のもの、聞くのじゃ。ドラゴンが集まったらしいのじゃ」
「えっ、ビュウたちから連絡があったの?」
「ビュウ帰って来たの?」

窓へと群がる女性たちに気圧されて、男は顔をしかめた。

「まだじゃ。伝言だけじゃ。それと、カーナ旗艦の位置もわかったらしいのじゃ」
「なるほど」
「じゃあ、まずは旗艦を取り戻すところから?」
「そうじゃ。センダックのジジイはおるか!今後の予定を決めるのじゃ。どこじゃ!」

だみ声が2階に去った後、女性陣は浮き足立った。

「もうすぐ帰ってくるのね!」
「いよいよ…ね」
「頑張らなきゃ…」
「旅立ちはいつかしら?」
「今マテライトとセンダック老師がそれを話してるんじゃないかしら」





                  《Side Matelite》
「ドラゴンは何匹いるんだって?」
「4匹と言っておった」
「じゃあ16人乗れるね」
「今何人おるのじゃ?」
「えっと…ビュウたち4人、重装が4人で…わしと、プリーストが3人、ウィザードが3人、…かな?」
「15人もおるのじゃ」
「1人分余裕があるね」
「足らんのじゃ」
「え?」
「足らんというておる」
「なんで?」
「2人の…ほら、覚えておるかの。若い槍コンビがおったじゃろ」
「えっと、フルンゼくんとレーヴェくん?」
「そうじゃ。その2人が旗艦で生き残っているらしいのじゃ」
「そうなんだ!よかった。味方が増えるのは心強いね」
「クルーとかも昔のままおるらしいと言っておったぞ」
「えっ、そうなの?何でだろう。ここまで来ると逆に怪しいっていうか…」
「ウダウダ考えんでいいのじゃ!とりあえず中にいる者たちにワシらが行くことを伝える係りが必要じゃ」
「そうだね。篭城されたら困るし…中と外から攻めればすぐに落とせそうだね」
「ワシが行きたいところじゃが、女子の方がきっと敵も油断するんじゃないかと思うのじゃがどうじゃ」
「ううん…そうかもしれないけど、危険すぎるよ」
「そうかのう…」
「でも一応聞いてみようよ。ワシ、ちょっと下に行ってくる」
「わかったのじゃ」



最近白いものが増えた。
そう思った。
誰かに見られるのも癪なので、ずっと兜を被っている。
兜をしていると鎧もつけていないと不恰好だ。
だから鎧もつけている。
磨きも怠っていない。
階段を上る音がして、男は兜を被り直した。
すぐに細いナヨナヨとした白髭の老人が現れる。
老人は少し嬉しそうでいて心配そうな表情で、

「ディアナとフレデリカが行ってくれるって」

と言った。
2人はカーナで共に白魔法を学び、育ってきた旧友だ。

「フレデリカだけと言われれば心配じゃったが、ディアナも行くのなら大丈夫じゃろ」
「うん。一応旗艦を手に入れたときのために、ビュウが前から手配してくれていた搭乗してくれる商人を連れて行ってもらって」
「今度から物資調達に使ってもらうことになったんじゃ~とでも言って入りこむんじゃろ。みなまで言わずともわかるわい」

男はフンと鼻で息を吐いた。
老人はそんな男を見て苦笑する。

「それで、いつ帰って来るの?」
「2日か遅くても3日後じゃ」
「すぐに出発するんでしょ?」

当然じゃ、と男が言った。

「大変すぐに準備しなくっちゃ!」

バタバタと出て行く後姿を見送って、男は腰を上げた。
隣の部屋-普段男が使っている部屋-に入ると、戸棚にしまっておいた唯一の私物を取り出す。
きちんと畳まれた布は分厚く、広げれば3mを越すほどの大きさに見えた。
男はその布を胸に抱き、目を閉じて静かに呟いた。
「姫様、もうすぐ助けに参りますぞ…。カーナ王様、ヨヨ様は必ずワシが助け出すのでご安心くだされ…」
丁寧に、男は自分の胴当ての内側に布を押し込んだ。
自らの血で濡らすことは許されぬものを、鎧の中に忍ばせる。
道半ばで死ぬことさえ己に禁じて、男は部屋を後にした。




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